- 埼玉は意外と凄い人が多い。
515 :名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府)[sage]:2021/10/21(木) 21:35:14.00 ID:JCVv0KVs - 仮病大阪贅六ザコ
【強兵東京1連隊】 日本軍は満州事変、日中戦争の過程で、これほど情報なしで戦ったことはなかった。 敵部隊の編成、装備、兵力について、大抵は完全なスパイ情報を得て、時々刻々敵情を知りながら戦っていたのである。 …これらの情報の不足により、初動において齎されたハンディキャップにも拘らず、(リモン)峠本道を守った57連隊(佐倉)及び後にこれに参加した歩一(東京)の奮戦は賞讃されなければならない。 …とにかく第一師団(東京)は入れ替わり立ち替わり現れる重装備の歩兵に、50日抵抗を続けたのである。 レイテ戦記(中)210~211頁 【弱兵京都9連隊】 マッカーサー「レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった」 レイテ戦記(上)80頁 【仮病大阪8連隊】 昭和14年7月、満洲ノモンハンで日ソの衝突が重大危機に陥り、逆上した関東軍が、北満国境駐屯の仙台・大阪両師団に応急動員下令、出動を命じたとき、 仙台第2師団は勇躍出発、ハイラルより徒歩行軍四日間で現地到着、先遣隊たる新発田16連隊(新潟)の如きは、直ちに戦闘加入勇戦奮闘したのに反して、 大阪4師団は出動下令されるや、急病人激増、何とかして残留部隊に残ろうと将兵が右往左往し、怒った連隊長が医務室へ出向き、自ら軍医の診断に立会う仕末。 やっと出動部隊を編成したまではよいが、ハイラルから現地までの行軍では、2師団が四日間で強行進軍したのに大阪師団は一週間を要し、しかも落伍兵続出、 現地にやっと先遣隊が到着したら日ソ停戦協定成立。とたんに元気が出た浪花ッ子の面々、口口に戦闘に間に合わざりしを残念がり、落伍した将兵は急にシャンとなって続々原隊復帰。 帰りの軍用列車では一番威勢がよかったというおとぼけ師団であった。 (新潮文庫『兵隊たちの陸軍史』279~281頁、『現代史研究』第7集より)
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