- 東京 ≠ 日本 1
17 :名無しさん@お腹いっぱい。(日本のどこかに)[]:2021/08/30(月) 19:36:40.07 ID:5KDFiGLP - ゆとり教育では古文の時間に東夷って教えてないの?
例えば徒然草とか。 アズマエビス=人間の心を持たない外界(関東)の野蛮人種、とか。 あまりに酷な表現だから子供には教えられないのかな。 アズマエビス(関東東北民)は、古来より日本人から嫌われる野蛮人。 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん) : エビスを征する将軍 東屋(あずまや) : アズマエビス民族が住むような、小屋のような粗末な家 毛人(えみし・えび) : アズマエビスの別名。下つ毛の国(下野国・現栃木県)などに言葉が残る 尾張(おわり) : 日本の終端、「終わり」。辺境。 関東(かんとう) : 関(国境)の東。外国。未開の土人が跋扈する野蛮な土地 ※ソースは日本書紀
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- 歴史も文化も無い東京が「日本」を語る滑稽さ 1
12 :名無しさん@お腹いっぱい。(日本のどこかに)[]:2021/08/30(月) 19:41:11.46 ID:5KDFiGLP - 武蔵の国
東京や多摩の別名として古来からの国名の武蔵がある。若者の街で人気の吉祥寺も武蔵野市にある。 “武蔵”というのは“モサシ”という朝鮮語から生まれた言葉だという。 モサシは河原にはえる草の呼び名らしく、多摩川の河原や東京を二分するようなその広大な河岸段丘の草原からつけられたようだ。 桓武天皇以来、東夷(アズマエビス)が住む関東の姿とはアイヌ系の先住民と、朝鮮の百済の人の入植地であり、 それらに当時の政権から派遣された源氏や平氏が割拠する土地だったのである。 また、武蔵の国の国司は百済人と決まっていて亡命してきた百済王家の人間がなっていたという。 今でも東京(武蔵野)には狛江とか高麗とか朝鮮に関係ある地名や名称が多く残っている。 沢の名前などはアイヌ語のようなものも目立つ。 武蔵の国の政府があった府中の大国魂神社(オオクニタマジンジャ)のあたりからは、百済人や東夷が暮らした武蔵野の大地が遠望できる。 江戸がなぜ栄えたか、というと「田舎者で栄えた」というのが一つの答えらしい。 江戸八百八町は当時も世界最大の都市。大名の参勤交替だけではなく、ありとあらゆる田舎から人々が集まって来ていたのだ。 そもそも江戸の背景となった武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、あるいは都落ちしたもの、東国へ派遣されたもの、 古来地元で群雄割拠する豪族など、ありとあらゆる人間が生活を営んでいた場所である。 しかも知事は外国人、国際的といえる地域でもあるのだ。
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- 首都圏は歴史博物館が少ない
14 :名無しさん@お腹いっぱい。(日本のどこかに)[]:2021/08/30(月) 19:41:58.31 ID:5KDFiGLP - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9
関東地方 大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは唐と新羅が権勢を揮い、663年には 百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗も668年に同様に 滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした 大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として 日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、 関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡・新羅郡→新座郡)。
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