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名無しさん@お腹いっぱい。(光)
大阪の都市計画について語るスレ Part263

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大阪の都市計画について語るスレ Part263
711 :名無しさん@お腹いっぱい。(光)[sage]:2021/08/08(日) 13:10:47.76 ID:qW7U5k6o
京都から見た関東は流刑地

十世紀初頭に成立した「延喜式」には、犯罪を犯した者が流される地域をその罪の軽重により、遠流・中流・近流と京都からの距離により、三地域に分類している。
ここに見られる遠流の諸国は伊豆・安房・常陸・隠岐・土佐の諸国である。中流地は信濃・伊予の両国であり、近流地は安芸と越前である。
古代においては罪が穢れと意識されていたことにより、遠流地は穢れの追放場所として意識されていた。東国については伊豆・安房・常陸あたりが穢れ地であり、国家の周辺地として意識されていたものとみなされる。
王都である平安京から離れれば離れるほど王権は弱くなり、穢れが強くなるという観念が古代・中世には強く存在していた。東国(坂東)の入り口である伊豆国は境界の地であり流罪の国としても有名である。
源頼朝をはじめとして伊豆に流された「犯罪者」は数多く存在した。畿内では伊豆は鬼が出現すると信じられていた説も有り、異類異型が出没する地域とみられていた。伊豆の国以遠の東国の諸国については推して知るべしである。
大阪の都市計画について語るスレ Part263
712 :名無しさん@お腹いっぱい。(光)[sage]:2021/08/08(日) 13:11:45.05 ID:qW7U5k6o
朝廷から見た関東

後醍醐天皇の正中の乱の際に弁明した言葉がある。
「関東は戎夷(えびす)なり。天下管領しるべからず。卒人の民皆重恩を荷う。聖主の謀反と称すべからず。
但し、陰謀の輩あらば、法にまかせて尋ね沙汰すべき事の由これを載せらる、多く本文を引かる、その文体宋朝の文章のごとし(花園天皇記)」

この時代の公家の国家観は「天下」があって、その「天下」の中に「日本国」(畿内)と「外国」(周辺地域)が併存するというものであった。
彼らは観念の上で2つの国家という意識を持っていたである。そしてさらに天皇や公家の居住地である京都や畿内が清浄で周辺地域は野蛮で文化程度も低いという観念が横行していた。
この野蛮で文化程度の低い地域の代表が東国であると意識されていた。だから後醍醐は率直に「関東は戎夷なり」と言ったのである。

景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」


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