- 大阪の都市計画について語るスレ Part249
515 :名無しさん@お腹いっぱい。(SB-Android)[sage]:2021/05/17(月) 02:27:06.32 ID:ndln7x18 - 日本へのコレラ上陸
日本に最初にコレラが流行したのは文政5年(1822)で、この病気の手掛かりはなく、予防措置を取ることは全くできなかった。 36年後の安政5年(1858)コレラが再び流行した。 前年米艦ミシシッピー号がシナから日本に持ち込んだものである。 江戸に飛び火したコレラは、8月上旬から中旬にかけて蔓延し、葬列の棺が昼夜絶えることなく、大通りや路地につらね、どこの寺院も列をなした。 焼場では棺が所せましと並べられ、江戸だけでも死者10万〜26万人出たという。 第3次のコレラ流行は1862年で、江戸だけで7万3千人の死者が出た。
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516 :名無しさん@お腹いっぱい。(SB-Android)[sage]:2021/05/17(月) 02:28:23.88 ID:ndln7x18 - 景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。 国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。 道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。 蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。 獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。 人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。 仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」
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517 :名無しさん@お腹いっぱい。(SB-Android)[sage]:2021/05/17(月) 02:30:38.24 ID:ndln7x18 - 犬を食う穢土人
18世紀の『落穂集』には、 「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。 犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」 としている
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