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名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?

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大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
286 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 11:11:47.72 ID:6PN3Trnr
>>283
他人頼みの大阪神戸は伊予犬の糞

大阪は天下の富地にして、黄金の会すること山のごとく、実に将軍家の外府ともいふべき。
すべて百姓町人などの豪富家は、黄金の番人に異ならず。
世間饑飢に苦しむとも格別の施しもいたさず、執拗して人の誹りを得、英雄豪傑の世となりては、
あへなく奪ひ取らるも知らで、いたづらに番をいたすの愚痴なるものばかり多し。
(清河八郎)

近代の大阪神戸
地元の大阪人より愛媛人の方が活躍しているのが滑稽。
朝ドラでも大阪商人の無能ぶりが際立つ。
その愛媛県に対し“別子煙害”で恩を仇で返した鬼畜=大阪住友。

五代は倒幕側の薩摩人
渋沢は旧幕臣で武蔵の豪農の出
関市長は旧幕臣の出
小林一三は山梨の豪農の出
住友の屋台骨広瀬は近江人

世襲の無能大阪承認はほんのお飾りに過ぎなかった。
明治大阪の繁栄は他県人の功績だっていうのに、
高慢な大阪人は恩人五代友厚の事を朝ドラで脚光を浴びるまで長らく忘れていたし、
本当薄情な人たちだ。

大阪に最も勢いがあった時代は戦後の
吉田松陰の一族で長州人の杉道助・商工会頭と
長州出身ではない福岡出身だが旧制山口高校卒で長州閥の赤間文三・大阪府知事のタッグ時代
ところが赤間が政界に転身し、杉が死去すると大阪を統率できるものがいなくなり衰退した

大阪は戦前も戦後も余所者依存かいな。
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
287 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 11:13:40.45 ID:6PN3Trnr
>>283
他人頼みの大阪神戸は伊予犬の糞


神戸港140年 −今後の発展の条件を探る−
http://www.heri.or.jp/hyokei/hyokei96/96tyosa.htm
神戸港の歴史は、殖産興業による軽工業や重化学工業の発展、二度の世界大戦による経済の波乱や打撃、高度成長に伴う貿易の拡大など、我が国近代化の歴史と歩調を合わせるかのような足跡を辿ってきたといえよう。
 開港間もない頃、輸出は茶、生糸、板・刻こんぶ、銅、丁銅、金貨、銀貨などの一次産品、輸入は金巾、綿ビロード、羅紗、呉呂、毛綿交織などの軽工業品が中心であった。
しかし、当時の貿易は横浜港が中心であり、いったん横浜港に輸入された貨物の 3 分の 1 が神戸に輸送された。これが鉄道の開通により、明治14〜15年頃から、神戸に直接来航する外航船が増加したことで神戸港の取扱額が増えていった。
 次に近代的産業が発展した。神戸にマッチ、造船、石鹸などの諸工業が起こり、明治19年(1886)に兌換制度が実施され、円の信用が増し、これを背景に外貨を呼び込み、紡績、製茶、樟脳などの工場新設が始まった。
さらに、港湾関連産業による「海事産業クラスター」が形成された。造船、鉄鋼が勃興し、鈴木商店を中核とする貿易業が発展し、海運、倉庫業も含めた「海事産業クラスター」を形成し、これらが神戸の経済を発展させた。
 この結果、神戸港の貿易総額も、第一次世界大戦が勃発した大正3年(1913)にはわずかながら横浜を抜いて第 1 位となった。
大正期から昭和初期にかけ、軍事需要の増大や、景気の拡大により、神戸港の輸出は飛躍的な伸びを示し、勝田銀次郎、内田信也、山下亀三郎の大船成金を輩出した。

幕臣勝海舟→武蔵江戸本所
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
鈴木商店→創業者鈴木岩治郎→武蔵川越
勝田銀次郎→愛媛松山
内田信也→茨城麻生
山下亀三郎→伊予宇和
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
290 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:30:15.58 ID:6PN3Trnr
対米開戦を誘導した海軍は軍令部が実質的に作戦立案したんだが、開戦時は薩長ばかり。
対ソ戦しか考えてなかった旧幕府軍子孫が多い陸軍は海軍に騙されて孤島にばら撒かれ、最後は責任おしつけられただけ。

「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみると
軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、

沢本 頼雄(海軍次官)、
岡敬純(軍務局長)、
中原義正(人事課長)、
石川信吾(軍務第二課長)、
藤 井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、

高田利種(軍務第一課長)、
前田稔(軍令部情報部長)、
神重徳(作戦課員)、
山本祐二(作戦課員)が鹿児島県出身。

これに父が鹿児島県出身の大野竹二(戦争指導班員)を加えれば、薩長閥の左官クラスのそろい踏みなのである。

藤井茂中佐は昂然としてこういうのを常とした。
『金と人とをもっておれば、このさき何でも出来る。予算をにぎる軍務局が方針を決めてその線で押し込めば、人事局がや ってくれる。
自分たちがこうしようとするとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる。』

 荷風が言うように、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたといえるのである。」

『永井荷風の昭和』より。
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
291 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:32:05.63 ID:6PN3Trnr
森香澄(テレビ東京アナウンサー)「何滋賀県草津市って?草津は群馬だけじゃねえのかよって思って」


北海道の人は江州人が大嫌いと聞いたことがあったがこういうことね納得
【イジメ県・滋賀】

松前城で買った松前市の編纂した歴史本にも
滋賀作は松前が困ってる時は吹っ掛けたり松前に来ても何も還元しなかったので
後々ものすごい嫌われて江戸中期からは取引外されたって名指しで批判されたゴミ畜生だから

滋賀作は最初は松前藩と繋がりあって取引殆ど独占してたけど
とにかくアイヌも松前藩の領民も騙すわ買い叩くわだったので
江戸中期くらいから滋賀作には売らねえって所まで行き着いた

近江商人の経営哲学のひとつとして「三方よし」が広く知られている。「 商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方だ。
嘘八百、またはアイヌなど人でないから構わない思想か
近江商人の通った後はぺんぺん草も生えない
滋賀にそれ系の記念館とかあるけど正気かと。

(滋賀含む広い意味での)日本海側の商人は強欲で、
北海道ではかなりひどい詐欺的取引をして、搾取的労働をさせてる。
江戸の幕府は中央政府として頭を抱えていて、なんとか取り締まりたいのだが、
松前藩がかばってうまくいかない。
結局、松前藩を飛ばして直轄にするところまでいくのだが、
その頃にはもうアイヌ社会がボロボロになっていて、再起不能になっていた。
明治初年の段階で、日本海側のアイヌは激減してる。
太平洋側の諸藩や商人は商売下手で、太平洋側のアイヌ社会はわりと維持できた。
今でも、アイヌ集落が胆振や日高に集中するのは、これが理由。

近江商人のやり口としてはアイヌが持ってきた動物の毛皮を数える時に
ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、しち、はち、くう、じゅうで、「これで10枚やな、その代金払うからな。」という方法。
あとは穀物の量計る時のマスをサイズを大きいので計って誤魔化す。
重さを計る分銅をイカサマするなどメチャクチャな方法で商売した。
それが近江商人でその末裔が滋賀県人ども。
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
294 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:35:40.88 ID:6PN3Trnr
【今は昔、「京の弁舌」と呼ばれる悪評の都があったらしい】

東北庄内の清河八郎
近頃の噂でも「京の弁舌」と云い、京都人=柔弱な嘘吐き野郎の代名詞となっている。

肥後出身の横井小楠
京都の女は悪習甚だしく、女中として役立つ者は一人も居ない。

愛媛の歌人正岡子規
人間としては下等の地に居る、死に歌詠みの公家たち。

平安 京都貴族 京都人 政治放棄で地方修羅状態
室町 京都武士 京都人 応仁の乱で京都廃墟
江戸 松倉親子 奈良人 暴政で島原の乱勃発
明治 古河財閥 京都人 足尾鉱毒垂れ流し
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
295 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:37:44.87 ID:6PN3Trnr
水戸の男 男らしい、根性がある
大阪の男 女々しい、根性が無い

これもよく言われるね。
大阪の贅六はすぐ仕事をサボる、心が折れる、泣き言を言う。


http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
>会津は、福島県は65、これはもういちばん優秀で。
>まあしかしね、東北の兵隊はよく頑張った。石にかじりついてでもアメリカ軍と戦おうという姿勢をね、最後の息を引き取るまで貫いていったというところにね、私はすばらしさがあると思うんだ
>関西の人はね、口は上手ですよね。したら、実行しないって。北海道のね、兵隊は言われたことは必ず実行してくれるって、北海道の部隊は受けがよかった
>大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな、鹿児島はもう、日本でも優秀なあれやったじゃっどん
>やっぱり茨城の人ですから剛胆だから、富田保二っていう人はね。下妻一高から陸士を出た方でね。
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
296 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:41:28.13 ID:6PN3Trnr
足尾鉱毒被害民
「陸奥はその姻戚なる古河の利益を保護するために
態度を曖昧にして以て責任を免れたりき」

>猛毒垂れ流し隠蔽野郎のゲスの極み陸奥宗光
>環境破壊者農民殺しゲスの極み陸奥宗光
>新選組に撃退された元ヘボテロリストゲスの極み陸奥宗光
>若い頃のあだ名はウソツキ小次郎ゲスの極み陸奥宗光
勝「陸奥が悪いのサ。息子が、古川にやつてあつたけノ」


勝海舟は教え子の中でも陸奥を嫌ってたからこんな言い方してるけど
一番悪いのは示談詐欺師の京都人古河w
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
298 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:49:53.20 ID:6PN3Trnr
[大坂に人物なし]十九世紀一の…
政治家 小栗上野介 東京神田
思想家 横井小楠 熊本熊本
実業家 渋沢栄一 埼玉深谷
資産家 岩崎弥太郎 高知安芸
農政家 二宮尊徳 神奈川小田原
兵法家 平山子龍 東京四谷
剣術家 男谷下総守 東京本所
探検家 間宮林蔵 茨城筑波
測量家 伊能忠敬 千葉九十九里
策略家 勝安房守 東京本所
陰謀家 岩倉具視 京都京都
開国家 岩瀬肥後守 東京愛宕
自信家 佐久間象山 長野松代
経世家 海保青陵 東京霞ヶ関
紀行家 菅江真澄 愛知豊橋
砲術家 高島秋帆 長崎長崎
藩政家 渡辺崋山 東京三宅坂
翻訳家 杉田玄白 東京新宿
啓蒙家 福澤諭吉 大分中津
遊説家 坂本龍馬 高知高知
財政家 松方正義 鹿児島鹿児島
民政家 上杉鷹山 東京霞ヶ関
開明家 橋本左内 福井福井
革命家 高杉晋作 山口萩
戦術家 立見尚文 東京八丁堀
尊王家 蒲生君平 栃木宇都宮
随筆家 松浦静山 東京浅草
弁舌家 江藤新平 佐賀佐賀
画家 葛飾北斎 東京本所
作家 滝沢馬琴 東京深川
噺家 三遊亭円朝 東京湯島
医者 華岡青洲 和歌山西野山
為政者 島津斉彬 東京芝
指導者 西郷隆盛 鹿児島鹿児島
独裁者 大久保利通 鹿児島鹿児島
国学者 塙保己一 埼玉児玉
蘭学者 緒方洪庵 岡山足守
教育者 吉田松陰 山口萩
扇動者 藤田東湖 茨城水戸
兵学者 大村益次郎 山口山口
儒学者 広瀬淡窓 大分日田
漢学者 安井息軒 宮崎宮崎
経済学者 山片蟠桃 兵庫高砂
博物学者 南方熊楠 和歌山和歌山
キリスト教教育者 新島襄 東京神田
キリスト教指導者 内村鑑三 東京小石川
西洋哲学者 西周 島根津和野
仏教哲学者 清沢満之 愛知名古屋
自然哲学者 三浦梅園 大分国東
重商主義者 本多利明 新潟蒲原
国粋主義者 平田篤胤 秋田秋田
豪胆者 山岡鉄舟 東京本所
理学者 帆足万里 大分日出
化学者 川本幸民 兵庫三田
求道者 白井亨 東京桜田
英学者 中村正直 東京麻布
本草学者 平賀源内 香川志度
技術者 田中久重 福岡久留米
大阪人と韓国人が似ているのは何故なのか?
300 :名無しさん@お腹いっぱい。(東京都)[]:2021/03/24(水) 12:54:32.19 ID:6PN3Trnr
マジな話、大阪生まれ大阪育ちの偉人って居る?
人口考えると東北人以下じゃね? w


勝海舟『小関三英(出羽人)は泉州岸和田の家来で医者であるが蘭学がよくできた。』


俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠(肥後人)と西郷南洲(隆盛、薩摩人)だ。
佐久間象山(信州人)は物識りだったよ。学問も広し見識も多少持っていたよ。しかしどうも法螺吹きで困るよ。
藤田東湖(水戸人)は多少学問もあり剣術も達者で一廉役に立ちそうな男だったよ。しかしどうも軽率で困るよ。
木戸小菊(孝允、長州人)は西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男さ。
吉田松陰(長州人)、真面目な人だった。漢書は読めたし武士道は心得ているしなかなか偉者だった。
斉彬公(島津、江戸人)はえらい人だったよ。
坂本竜馬(土佐人)、あれは俺を殺しに来た奴だがなかなか人物さ。なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ。
小栗上野介(江戸人)は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士で。度量の狭かったのは惜しかった。
山岡鉄舟(江戸人)も大久保一翁(江戸人)も共に熱性で切迫の人だったから可哀想に早く死んだよ。俺はただずるいから長生きしてるのさ。
二宮尊徳(相州人)は至って正直な人だったよ。
鍋島閑叟公(江戸人)は名高い名君だがすこぶる陽明派の学問に達しておられたということだ。
山内容堂公(土佐人)は天資豪宕、襟懐洒落、真に英雄の資を具えて居られた。
江川太郎左衛門(伊豆人)もまたかなりの人物であった。この男は山の中で成長して常に遊猟などをして筋骨を練り明け暮れ武芸に余念がなかった。
渡辺崋山(江戸人)、温厚の人で何もかもよく出来た人さ。高野長英(陸奥人)はずっと人物が下がるが蘭書がよく読めたので人が機械的に用いたよ。
小関三英(出羽人)は泉州岸和田の家来で医者であるが蘭学がよくできた。
岩倉具視公(京都人)は度量が大きくて公卿の中では珍しい人物であったよ。
高島秋帆(長崎人)というのは日本で銃陣の鼻祖だ。
陸奥(宗光、紀州人)は幕僚となるに適した人物で、幕僚に長としてこれを統率するには不適当であった。
福澤(諭吉、豊後人)は学者だからね。俺などの通る道と道が違うよ。
松方(正義、薩摩人)は謹厚の性質だ。これだけは俺が保証する。
白井亨(江戸人)、この人の剣を使うやほとんど一種の神通力を具えて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向かいなどに立って居られなかった。
大久保(利通、薩摩人)という男はあんまり功名を急ぐ欠点があるから折々やり損ないがあったけれど、あの男のように思い切った果断に富んだ者はまあ珍しいんだよ。
蜀山人(大田、江戸人)、私の六歳七歳時分から伯父の家でよく遇ったが顔の真赤な面白い男だった。


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