- Nikon D200 Part99
192 :名無CCDさん@画素いっぱい[sage]:2014/10/20(月) 12:41:44.02 ID:j7ypQ3hO0 - cmos機とCCD機は比較しても意味ないだろうね。
3点バーストや点射なら実用上まず問題はない。
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- ニコン慰安婦写真展問題で韓国人写真家1390万円訴訟
75 :代理屋 ◆XFizselqIb3B [sage]:2014/10/20(月) 12:56:51.72 ID:j7ypQ3hO0 - 前スレのお詫びと訂正 ×「公刊」→ 〇「私家本」
拙http://peace.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1342193517/798-800 にて、1878年の川口武定『従征日記〈上/下〉』(*青潮社 1988)に触れ、 >西南戦争の翌年公刊 と「日本食人考5」で書いたが、これは「私家本」の誤り。お詫びのうえ訂正。 ※当然、文部官僚の神田孝平氏が直接、これを読んだとは考えにくい。 ただ、主旨は変わらず。彼は諭吉より5つ年長で、幕政時代をより長く生き、 杉田玄白が梅毒治療に夢に出てきた頭蓋骨を薬種とする薬を試した話など 知らないはずはない。結核などに罹っていた士族は少なくない時代、戊辰/ 西南戦争において、特効薬とされた胆や人肉喰いが起きないと想定する ほうが無理で、その種の事例を耳にしなかったということはあり得ないだろう。 さて、ここで「日本食人考」の続編を書きたいところだが、少し中断し、 次からデジカメ板に相応しく「写真と戦争」シリーズを連続カキコ予定。 ではまた。
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- Nikon1 V1/V2/V3/J1/J2/J3/J4/S1/S2/AW1 part89
35 :名無CCDさん@画素いっぱい[sage]:2014/10/20(月) 12:59:07.69 ID:j7ypQ3hO0 - >61個に絞れたらすぐだろ
許してくれ。
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76 :代理屋@戦争と写真1[sage]:2014/10/20(月) 20:41:24.40 ID:j7ypQ3hO0 - 予告したとおりデジカメ板らしく、写真がらみの歴史ネタを書いておく。
カメラは大正時代、Kodak「ベス単」などの登場で日本でも普及。関東大震災に みまわれた1923年には「アサヒグラフ」が創刊され、震災の特別号も発刊された。 「花王」の宣伝マン*が育てた?木村伊兵衛氏や、その後を追うように土門拳氏の ような有名カメラマンも誕生する。 (*『中央公論』1956年5月号参照) 国家も写真の訴求力に注視し、日中戦争に突入した1938年には、木村/土門両氏 を登用した内閣情報部(局)の広報誌『写真週報』がスタートする。 http://www.jacar.go.jp/shuhou/home.html ←昔、これで歴史概略を学習 1942年になると、特高警察にマークされる「東方社」*が、木村伊兵衛など交え、 伝説の海外向け写真プロパガンダ誌『FRONT』を刊行する。 ↓ (*多川精一『戦争のグラフィズム』平凡社 頁90-91) h ttp://blog.kmhr-lab.com/2009/03/front.html ←必見!! (↓2へ)
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77 :代理屋@戦争と写真2[sage]:2014/10/20(月) 20:46:39.57 ID:j7ypQ3hO0 - 軍人もカメラマニアは多数いた。満州事変を起こした石原莞爾は、初期のライカ1型を
レンズ交換式に改造して使う愛好家だった。 千田夏彦『従軍慰安婦』に出てくる、梅毒の危険性を上申した麻生徹男軍医もカメラ 好きだった。朝鮮人80名、日本人20名を対象とした《……昭和十三年一月二日の、 我陸軍初の従軍慰安婦検診の一連写真は、私の手で写……》したと語る氏の愛機は、 スーパーイコンタ(6×9判)だったという。(*麻生徹男『上海より上海』頁234) 麻生氏によれば、軍は当初、将兵のカメラ熱を煽ったとされる。 《……免税用紙を手にすれば、高級カメラが日本内地の三分の一ぐらいの値段で、 容易に買……》えるため《……上海の部隊長達も、若い連中が金を使って悪い遊びを するより、この方が余程よいと云ってカメラ購入を奨励……》した。(麻生 前掲 頁72) その結果、上海の写真店の前にはカメラを物色する黒山の人だかりができたとか。 が、これが思わぬ事態を生む。麻生氏と親しかった現像・焼き付けする同店従業員は、 その分量に悲鳴をあげる一方、こんな愚痴も漏らしていた……。 《……兵隊さんの依頼するDPに、正視に耐えない残酷なものが多くて困る……》 (↓3へ) (麻生 前掲 頁73-74)
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78 :代理屋@戦争と写真3[sage]:2014/10/20(月) 20:49:26.25 ID:j7ypQ3hO0 - カメラを手にした日本兵が、その蛮行を記録していた事実はたしかにあった。
上海の土産物屋では、エログロ写真が多数売られていたと証言する佐々木元勝氏も 日記に、捕虜の女性兵を殺害前に裸にしてみなが撮影した話を聞いたと記した。 《これは吉川君が実見したのであるが、わが兵七名と最初暫く応射し、一人(女)が 白旗を降り、意気地なくも弾薬集積所に護送されて来た。女俘虜は興奮もせず、 泣きもせず、まったく平然としていた。服装検査の時、髪が長いので「女ダ」という ことになり、裸にして立たせ、皆が写真を撮った。中途で可愛相だというので、 オーバーを着せてやった。殺す時は、全部背後から刺し、二度突刺して殺した》 (*『証言による「南京戦史」〈9〉』佐々木元勝日記『偕行』1984年12月号 頁11) 上は伝聞だが、現場を目撃した第十六師団の少尉の日記によれば、こうだった。 《最前線の兵七名で凡そ三一○名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。…… 武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく 一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す…… 中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。…… 戦友の遺骨を胸にさげながら 突き殺す兵がいた》 (*「小原立一日記」12月14日付 秦郁彦『南京事件』頁121) (↓4へ)
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- ニコン慰安婦写真展問題で韓国人写真家1390万円訴訟
79 :代理屋@戦争と写真4[sage]:2014/10/20(月) 20:52:00.78 ID:j7ypQ3hO0 - こうして撮影された写真を現像・焼き付けするのは、毎回日本人とはかぎらなかった。
中国人店員のなかには密かに焼き増しし、プリントを流出させる者もでてきた。 それが土産物屋に流れるだけならまだしも、敵側に渡るとやっかいだった。 アイリス・チャン氏が著書に載せ、一部で捏造と疑われた夏場の捕虜刺殺の写真も 流出写真の一枚だった。それが捏造でないのは、1938年7月に南京に派遣された 写真好きの日本兵が撮影した、南京と異なる場所の写真のなかに、別角度のショット が発見されたことで証明されている。 (*『村瀬守保写真集』で検索.『南京大虐殺否定論13のウソ』司書房 頁230) 経路は不明だが、その虐殺写真は、同年8月、はやくも上海の英文週刊誌に取り上げ られて、日本軍糾弾の宣伝材料となった。 (*巫召鴻『「レイプ・オブ・南京」を読む』頁130-131) この事態に危機感を抱いた日本の上層部は、1938年10月24日に、「軍隊及軍人軍属 写真撮影取締規定」を発令。防護策を講じた。 (↓5へ)
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- ニコン慰安婦写真展問題で韓国人写真家1390万円訴訟
80 :代理屋@戦争と写真5[後日また]:2014/10/20(月) 20:54:49.51 ID:j7ypQ3hO0 - 《@現像焼付は部隊内か指定写真店で行う。
A軍人軍属の写真は必ず日本人が現像焼付を行う。 B写真の処理を依頼する者は、所属部隊・階級・氏名を写真店に告げ、 写真店は処理を記録する。 C写真原版は依頼者に返却し、余分に焼付けたものは焼却する。 D写真に機密や逆宣伝に利用される恐れがあるものを発見した場合は、最寄りの 憲兵に届け出て指示をあおぎ、写真が散逸しないようにする責任を負う。 E指定写真店がない所で現像焼付する場合は部隊毎に取りまとめて確実な監視 者をおいて処理を監督する》 (*巫 前掲 頁134-135) この対策は功を奏し、38年夏-秋まで多数の残虐写真を掲載してきた上海の英文 週刊誌も《……一○月二九日号を最後に……》掲載しなくなったという。 (↓6へ) (*巫 前掲 頁134)
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- Nikon1 V1/V2/V3/J1/J2/J3/J4/S1/S2/AW1 part88
919 :代理屋[sage]:2014/10/20(月) 21:01:57.16 ID:j7ypQ3hO0 - 底に穴の空いたV1を修理すると15000円。
動かなくなったら修理代払うより、また中古V1をゲットして 電池を増やそうと思う。
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