- こんな糞みたいな国滅べばいいと思ってる奴105
251 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 19:45:31.65 ID:dwf53Wx3 - 日本の自業自得
アジアを侵略して悪の限りを尽くしたのが悪い
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256 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 20:16:26.02 ID:dwf53Wx3 - 極悪ジャップ軍の悪行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E4%B8%80%E8%A6%A7 ・南京事件=数万人を虐殺 ・マニラ虐殺=ジャップのせいで市民10万人が死亡 ・旅順虐殺事件=無抵抗の捕虜や市民を1万8000人殺害 ・シンガポール虐殺事件=反抗的な市民6000人殺害 ・三光作戦=中国人を「殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす」作戦、レイプや略奪が当たり前だった日本軍 ・花岡事件=捕まえた中国人を日本企業で奴隷のように働かせる、労働から逃げた中国人400人を拷問死 ・白馬事件=オランダ女性35人を監禁レイプ ・生物兵器・化学兵器の使用=禁止されてる毒ガスを使いまくる ・重慶爆撃=爆撃を218回おこなう、後半は完全に絨毯爆撃だった ・小笠原事件 米軍捕虜8人を殺し その人肉や内蔵を食う 食べた日本兵は 「これは美味い。おかわりだ!」 と喜ぶ ・100人斬り競争 中国人捕虜100人をどちらが早く殺せるか2人で競争 最終的に600人以上殺す 競争は新聞で報道され大人気、帰国後は地元で講演会まで開いた
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257 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 20:16:45.59 ID:dwf53Wx3 - ■フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」(一九八一年版)
日本軍の残酷さとくに地方での女性に対する邪悪な扱いは、多くの市民がゲリラになる 要因の一つであった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、 日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。 ■インドネシア 中学校用「社会科学・歴史科 第五分冊」(一九八八年版) 日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。 日本は結局独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。 ■ベトナム 十二年生用 「歴史 第一巻」(一九八四年版) もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用とのために、食料、とくに米の 強制かつ廉価な買いつけをしたことである。この非道な政策こそ、市場における深刻な食糧 不足をもたらし、一九四五年初頭の数ヶ月の間に、北部で、二〇〇万人以上のわが同胞が餓死した直接の原因となった。 ■シンガポール 中学校初級用 「現代シンガポール社会経済史」(一九八五年版) 日本軍がシンガポールを攻撃したとき、人々は戦争の恐怖を体験しなければならなかった。 日本軍が島を占領した三年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。 この時期は、日本軍占領時代として知られている。 ■マレーシア 中学校二年生用 「歴史のなかのマレーシア」(一九八八年版) 「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの 植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。」 「日本がマラヤを占領したとき、彼らは中国人に対して、厳しく乱暴だった。彼らはすべての 中国人は反日であると疑っていた。シンガポールを占領したのち、日本は数万人の中国人を殺した。 ■ミャンマー 八年生用 「ビルマ史」(一九八七年版) 日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは、日本軍のキンペイタイン(憲兵隊)である。 一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。
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258 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 20:17:00.79 ID:dwf53Wx3 - ●『リー・クアンユー回顧録(上)』
・「日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。日本の占領の三年半、 私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。 同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。 日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えていたのである。」 ●『リー・クアンユー回顧録(下)』 ・「池田勇人首相との会談で私が取り上げたのは血の負債≠キなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求だった。 池田はシンガポールで起こったことに対して「心からの遺憾の意」を表明したが、謝罪はなかった。 ・「日本は経済大国として先進国首脳会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。 とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、 犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう? 多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。 理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。」
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263 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 20:25:02.11 ID:dwf53Wx3 - 「知床日誌」 松浦武四郎
幕末の探検家・松浦武四郎の手記によると、アイヌ女性は年頃になるとクナシリに遣られ、 そこで和人達の慰み物になり、人妻は会所で番人達の妾にされたと書かれている。 夫は漁場で酷使され、妻は番屋で慰み女とされ、子供が出来た場合、和人達はそれを突き殺し、押し殺す。 日本へ反発できなくなった大きな理由に人口減少がありますが、その大きな原因は、 女達が日本人の慰み者にされたこと、性病を含む伝染病を移されたこと、 生活基盤を失わされたこと、などがあげられます。 松浦武四郎によると、夫婦は仲を引き裂かれ、男だけクナシリ送りとなり、 そこで昼夜の別なく奴隷労働に使役され、斜里、網走では、女は年頃(16・7)になるとクナシリ (この当時、現地のアイヌは酷使によって全滅していた)に連行されて、諸国からきている和人に体を弄ばれる。 男も年頃になると連行され、働ける間は遠い土地で酷使され、 故郷に帰ることが許されるころには既に老人となっており子供を残すことができなくなった。 倭人によって妊娠させられた妻は、唐辛子汁を飲ませる等で堕胎させられることにより、 子供を残せない体にされた。さ和人に性病を移されることなども手伝い、クナシリ・メナシ地方のアイヌ人口は激減した。 松浦によると無理やり妾にされた挙げ句に性病をうつされ、顔が崩れて悪臭を放っているアイヌが山にたくさん居たとある。
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264 :名無しさん@毎日が日曜日[sage]:2019/05/23(木) 20:25:18.16 ID:dwf53Wx3 - 『虜人日記』 小松真一
日本軍時代の比島を見ると、「東亜共栄圏のため」「東洋は東洋人で」「八絋一宇」等という、 すばらしいスローガンを掲げていたが、人の国へ土足のまま威張りくさって入り込み、 自動車、畑、食料、家、家畜等まで、どんどん徴発して行き、土民は兵隊に会えば お辞儀をする事を強要され、難しい日本語を無理に、おしつけてきた。 米軍時代になった比島を見れば、立派なバスがたくさんアスファルトの国道を走り、土民は 新しい服を着、食物は豊かに店頭を飾り、米兵はニコニコ顔で町を散歩している。 家はどんどん新築されていく。米軍将兵はバラックに住み、食料は全部本土から取りよせ、 現地物資は少量の野菜を自作しているだけだ。 それにひきかえ、日本軍はちょっと立派な家があればすぐ軍で借り上げ、家主を追い出し、 日本では長屋住まいしかできないような将兵がそれに住み、大臣風を吹かせている。 そして二言目にはビンタを行い、まかり間違えば首まで取ってしまう。日本から物資が来んので、 土民の食料その他を優先的に取る権利が当然あるように一兵の末に至るまで思い込んでいた。 これでは日本兵が好かれる理由は一つもないようだ。米人は比人を「猿」「洋服を着た口をきく 猿」「水牛」と公然といっているのに、彼等の生活に直接触れないし、安物でも色々物を与えるので、 比人はすっかり米人に惚れている形だ。
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