- 〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十八年目〜
33 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[]:2018/06/14(木) 23:42:58.48 ID:L0ysihv80 - 1945年から1960年頃
治安が乱れていた上に、1人殺害でも死刑判決が出ることが少なくなかったので、死刑判決数は極めて多かった。死刑被執行者も年数十人規模でいて、 いちいち報道されることも無かった。 やや証拠が怪しい事件であっても確定後すぐに執行された例がある。 1960年から1975年頃 治安が良くなったこともあって死刑判決数は減少。 ただ強盗殺人は殺人前科なし・被殺者1人でも死刑になることがあった。年二桁の死刑執行数は維持されていて、日光祠事件や福岡事件みたいな際どい事件も執行されることがあった。 ただ、再審請求を執行逃れに使うというアイデアが 一部の死刑囚の間に流行りはじめて、確定から執行までの時間は延びていった。
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- 〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十八年目〜
34 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[]:2018/06/14(木) 23:52:56.40 ID:L0ysihv80 - 1975年から1985年頃
ちょうど永山裁判が行われていた頃。 被害者が1名なら原則死刑回避、という流れが定着し、死刑判決は大幅に減少。免田事件など、死刑囚の再審が相次いではじまったこともあり、死刑廃止論が広がる。 1985年から1999年 永山基準が定着し、よほどの凶悪犯罪以外は原則死刑回避の傾向が鮮明になる。甲府誘拐殺人事件など、従来だったら死刑だった身代金殺人でも無期になるなど寛刑化が進行。欧州での死刑廃止の広がりを受け、死刑反対運動は最高潮達した。 平成初期には死刑執行が3年以上中止され、その後も年3人から4人の執行数に留まる。
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- 〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十八年目〜
35 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[]:2018/06/14(木) 23:58:51.74 ID:L0ysihv80 - 2000年から2009年
オウム事件、神戸児童連続殺傷事件、和歌山毒カレーばど90年代末の体感治安悪化と、不況の長期化による社会全体の鬱憤の高まりから厳罰化。 光市母子殺害や闇サイト事件などからこれまで鑑みられることが無かった遺族の応報感情に重きが置かれる様になり、90年代なら無期の事件も死刑に。 死刑執行数も増加し、飯塚事件など90年代なら執行を見送った可能性のある事件も執行。 一方で再審請求の連発による延命が一般化した。
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