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傍聴席@名無しさんでいっぱい
〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十三年目〜

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〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十三年目〜
451 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage]:2017/12/10(日) 08:54:51.63 ID:Hxy2AUtd0
家族3人殺害、奥本死刑囚が手記「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」…死刑確定から3年
弁護士ドットコム 12/10(日) 8:04配信

●奥本章寛死刑囚の手記全文

私は現在、福岡拘置所に拘置されていまして、死刑の執行を待つ身です。

裁判員裁判(宮崎地方裁判所)での死刑判決が2010(平成22)年
12月7日、控訴審(福岡高等裁判所宮崎支部)の同判決(控訴棄却)
が2012年(同24)年3月22日、上告審(最高裁判所)の同判決
(上告棄却)が2014(同26)年10月16日(判決訂正申立ての棄却
が11月5日)です。そして、死刑確定の告知が11月18日で、告知後
から確定処遇に入りました。

私が死刑確定者になったのは、2010年3月1日早朝(私は当時22歳)、
同居していた義母(同50歳)と妻(同24歳)、長男(同生後5ケ月)
の3名を自宅で殺害したからです。

家族3名を殺害した動機は、義母との生活から逃れたかったという
自己中心的で身勝手極まりないものでした。生後6ケ月直前の寝返り
が打てるようになった息子を、育児に家事に懸命だった妻を、本当
に家族思いだった義母を殺害する理由はどこにもありませんでした。

家族3名の殺害という重大な結果となったのは、ひとえに私が無知で
未熟者、愚か者であったためだと思っています。事件のことは
もちろんですが、さまざまなことを今も悔み続けています。被害者
には心の底から申し訳なく思っています。そして、御遺族の皆様
にも大変申し訳ないと思っております。どんなにお詫び申し上げ
てもお詫びし尽くせません。

家族3名を殺害した後の生活のことは、殺害を考え始めて(事件の
数日前)からはまったく考えていませんでした。それ以前には、
妻ともし離婚した場合の生活のことは何度も考えたことがあります。
妻と離婚し独りになったら、慰謝料と養育費をきちんと支払う
ために、私と妻の借金をきちんと返済するために、生活費を稼ぐ
ために働いて働いて、働きまくろうと漠然と考えていました。
同時に一緒に仕事をしていた独身の同僚達が話してくれた、
思わず羨ましいと思ってしまった話は私には無縁の生活だとも
考えていました。

私が信仰しているのは浄土真宗です。毎日、朝夕のお勤めをし、
写経・書写をしています。そして、一日に何度も称名をしています。
写経・書写は、さまざまなことの後悔の気持ち、謝罪の気持ち
で行なっています。それらの時間は、毎日の生活の中で特に
大切な時間となっています。命あるかぎり続けます。

毎日、被害者に手を合わせ、謝罪しています。一日に何度も
被害者の名を口にしています。何にもならないかもしれませんが、
これも続けます。

私が逮捕されたのは、事件翌日(3月2日)のまだ日が昇らない
時間でした。その後、留置場に入れられ、刑事施設内での生活が
始まりました。留置場には4ケ月程居まして、7月を過ぎてから
宮崎刑務所に移送されました。宮崎刑務所内にある拘置棟での
生活は死刑が確定するまで続きまして(約4年4ケ月)、2014年
11月26日に福岡拘置所に移送されました。
〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十三年目〜
452 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage]:2017/12/10(日) 08:56:17.12 ID:Hxy2AUtd0
現在、生活している部屋は監視カメラ付きの単独室で(留置場と
宮崎刑務所でも同じ)、広さは約4畳です。畳は3枚で、残りの
1畳程度のスペースに向かい合う形で水洗トイレと洗面台が設置
されています。一人で生活するには充分な広さだと思っていまして、
電気は蛍光灯が2本で、外からの自然光もあるので明るさも充分です。

部屋には机(縦40×横60×高さ37・5cm)が1脚あり、この机で
朝・昼・夕の食事(受刑者1名が配食)をし、書き物をします。私は
平日、自己契約作業(紙袋製作)をしていまして、作業もその机で
行ないます。

作業で稼いだお金(月に5千円前後)は慰謝料の足しにし、菩提寺
へのお布施代にしています。現在、御遺族のお一人に慰謝料を
お支払いしていますが、その作業金を含めてもとても少額です。

慰謝料用のお金を捻出するために私が色鉛筆で絵を描き、支援者
がその絵を利用して、うちわとカレンダーを製作して販売しています。

私が犯した大罪は、いくら慰謝料を支払おうとも罪が軽くなったり、
許されることはまったくないと思っています。また謝罪すること
と慰謝料を支払うのは加害者の最低限の当然のことだと思っています。

私の裁判員裁判と同時期に、お二人の御遺族が私に対して、損害
賠償命令の申立てをされました。請求額は当然莫大な金額でしたが、
お金があるのならばすぐにでも請求額全額をお支払いしたい、いや、
それ以上の額の慰謝料をお支払いしたいと思っていました。お二人は
結局、申立てのすべてを取り下げられました。

私は今でも慰謝料は御遺族の皆様にお支払いしたい、命あるかぎり
支払い続けたいと思っています。しかし、現状はお一人の御遺族に
とても少額の慰謝料しかお支払いできていません。支援者が尽力
してくれていますが、現実はきびしいです。とても心苦しく思って
います。

私は絵を描くのはとても苦手で、まったくの素人ですが私なりに
懸命に描いています。絵を描いている時は被害者のことを念頭に
置いているためか、写経・書写をしている時と似た心境です。
ですので、絵を描くのは写経・書写と同じだと思っています。

支援者のおかげで、絵を描くことによって少額ではありますが
慰謝料を支払えるようになりました。本当に有難いことです。
心から感謝しております。支援者がいるかぎり、絵を描くことを続けます。
〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十三年目〜
453 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage]:2017/12/10(日) 09:00:20.23 ID:Hxy2AUtd0
私が被害者にしたことをよく思い出していますが、本当に恐ろしい
とんでもないことをしたとその都度、心底思います。私が犯した
罪の罰は、死刑ではまったく物足りないと思っています。日々
罪が重くなっているように感じていまして、毎日苦しいです。
自業自得ですね。

私が毎日行っていることが償いになっているのかはわかりませんが、
罪を償いたいと強く思っています。しかし、私が犯した罪は
あまりに重大で、償いきれません。虚しく日が過ぎていきますが、
行っていることを命あるかぎり続けます。

この世との縁が無くなっても償いを続けたいと思っています。
もしかすると、そこからが真の償いの始まりなのかもしれないと
考えています。

今日も手を合わせて、南無阿弥陀仏。

奥本 章寛

2017(平成29)年11月

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171210-00007067-bengocom-soci
〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百三十三年目〜
455 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage]:2017/12/10(日) 09:58:55.71 ID:Hxy2AUtd0
本当に反省しているなら再審請求なんてしないだろうけど。
義母の批判がないのは弁護人がつくった話なんだろうな。
慢性的な睡眠不足で殺人って入社一ヶ月なのにな。

殺害後のことは考えてなかったというが、殺害したその日に
出会い系とパチンコだからちょっと信じがたいな。
再審請求もあるからそういう話になるのだろうけど。
やはり部落だと浄土真宗が多いのな。

上申書の遺族は人事扱いだと離れていったが、最後の今日も
南無阿弥陀仏にはルーティンを感じるな。


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