トップページ > 裁判・司法 > 2017年12月07日 > jSpGitxg0

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傍聴席@名無しさんでいっぱい
ノーベル賞受賞の中村修二「日本の司法は腐っている」

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ノーベル賞受賞の中村修二「日本の司法は腐っている」
61 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[]:2017/12/07(木) 17:48:27.25 ID:jSpGitxg0
> Q 青色発光ダイオードの発明者は 中村修二 じゃないの?

A 青色発光ダイオードの発明者は 中村修二 じゃないのです。

すでに赤崎先生らによって、長寿命で安定して発光する青色LEDができている段階に、
「材料となる窒化ガリウムの量産は気相成長が有力だから勉強してきなさい」と留学をさせてもらい、博士号も取得させてもらったのが中村先生。

日亜は、社運を賭け、全社を上げて、中村先生の勉学と研究を応援しました。
帰国した中村先生は、気相成長を生産ラインに応用して低コストで量産できる目処をつけました。
そのころには、天野先生らによって、青色LEDがすでに実用化の目処も立っていたのです。
つまり、すでに発明が完了している段階で生産ラインを立ち上げたのが中村先生です。

中村先生は、発明の権利は会社か個人かということを争点にして、マスコミを抱き込み、
東京地裁とカリフォルニア大学に、自分が青色発光ダイオードの発明をしたのだと信じ込ませることに成功し、地位と、お金を得ました。

その後、世論をミスリードして、裁判に悪用されたことを省みて、読売新聞は、青色発光ダイオード発明の経緯の特集記事を掲載しました。
そこでは、名古屋大学の赤崎研究室の様子が生々しく語られ、青色発光ダイオードに中村先生が関与していたとの記述はありません。事実上の訂正記事です。

中村先生が開発した製造プロセスは、その後、同じ会社の後輩らによって開発した方法に変更されたため、日亜が中村先生の技術を用いていた期間は極めて短く、
中村先生の研究で同社が得た特許も全く無価値だと、現在は、関連する特許権は放棄されています。

毎日新聞を除く各社は、現在では、青色発光ダイオードの発明は、中村先生とはしていません。
中村先生を含めて表現するときには、「開発」とか「製品化」(量産物の市販は日亜が最初)とかの表現をしています。

中村先生の受賞理由は、「気相成長法が窒化ガリウムの結晶に有効であることを示し、その後の同分野の研究機運を高めた」ことであって、青色発光ダイオードの発明ではありません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12136882632

当社(日亜化学)から言わせれば,中村(中村修二)氏は実用化に向かう研究のための下地を作っただけ。
既に世の中に存在していた,赤崎(赤ア勇)氏が生み出したものと同じ水準の試料を,違う方法で作ることができただけなのです。

中村氏は1994年以降,自分で実験はしていません。周囲の共同研究者の研究成果を筆頭者(ファーストオーサー)として対外的に発表してきました。
中村氏が筆頭者として発表したあれだけの量の論文は,とても中村氏が自分で行った実験だけでは作成できません。

東京地裁で裁判官の方は「貧弱な研究環境で個人的能力と独創的な発想により世界的な発明を成し遂げた希有(けう)な事例」であると判決時に述べました。
しかし,これも納得がいきかねます。1986年に当社は10億円を使って,研究棟を新設しました。床面積1万m2,6階建てです。
1989〜1993年までにガス系統などを含めて4億円はするMOCVD装置を5台も購入しています。
地方の企業でこれだけの研究設備をそろえていたのです。一体,これのどこが「貧弱な研究環境」なのでしょうか。
「貧弱な研究環境」という表現は,中村氏自身が書いた本や記事,インタビューを受けた雑誌などに見られるものです。要は,自分でそう表現しているだけなのです。
https://web.archive.org/web/20141012204320/http://techon.nikkeibp.co.jp/NEWS/nakamura/mono200404_2.html


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