- 〜歴代死刑囚について語ろう〜確定百二十七年目〜©2ch.net
982 :傍聴席@名無しさんでいっぱい[]:2017/01/03(火) 17:29:02.27 ID:hr/eDZPb0 - ■尾田信夫経歴
*昭和21年(1946)9月19日、山口県宇部市内の農家で生まれる(9番目の六男) *信夫4歳時に父親病死のため母親は子供らを祖母に預け日雇い労務 *祖母を含め11人の大家族 *昭和36年、中学3年当時に50万円の恐喝未遂事件起し宇部署に補導 *地元中学卒業後に日本電波専門学校(福岡市中央区須崎)に進学 *母親は北九州市内で働いてたのでそこから通学、その後筑紫郡に下宿 *マルヨ無線ではアルバイトしながら通学できる制度があった (マルヨ無線川端店=福岡市下川端町:事件後廃止、現在地は「博多座」辺り) *昭和39年春、同校卒業と同時にマルヨ無線に正社員で採用(勤務地も川端店) *安月給のため店から商品を持ち帰り入質、生活費につぎ込む *何度も続くので店側が気づき尾田の留守中に下宿こじあけ証拠をつかむ *尾田福岡署に窃盗で逮捕、マルヨ無線は採用1ヶ月でクビになる *他人の下宿の鍵を壊し踏み込んだことでマルヨ無線を恨む *昭和38年 窃盗罪で保護観察処分(山口家裁) *昭和39年 宇部市の電気店で住み込みで就職 *この店でもマルヨ当時の盗癖抜けず商品を盗み入質 *5ヵ月後に窃盗容疑で宇部署に検挙される *昭和39年 広島中等少年院1年2ヶ月の処分 *中等少年院でマルヨ事件の共犯の少年と知り合う(宇部市在住15歳) *少年院でマルヨ時代の経緯を共犯に説明、復讐計画を告げる *復讐計画は「強盗に入り、宿直員2人を殺し、放火して証拠を消す」 *尾田出所後、就職したがスピード違反で罰金7000円に支払いに窮す *ついにマルヨ犯行計画を実行にうつすことを決意 *共犯と宇部→博多行きの時間を打ち合わせる(12月5日マルヨ押入り決定) *12月5日午後4時過ぎに博多駅に到着、マルヨを下見。午後10時マルヨに押入る *午後4時半すぎ 二人は客を装って店を下見 *午後5時20分頃 玉屋デパートで登山ナイフ、ハンマーを購入 *午後7時頃 マルヨ無線に電話、営業終了時間を聞く *午後8時過ぎ 店の前を通るが隣の店がまだ開いてたので中止 *午後8時半過ぎ マルヨで乾電池を買い様子探る *午後10時 宿直員以外は退社を確認、シャッターをこじ開けた *二人が奪った金は21万7千円程度。 *燃えやすい電気製品、カタログ類を石油ストーブの周囲にまち散らし ついで点火されたストーブの金網をはずし足蹴にしてストーブは 横転させ一気に燃え上がった。 *店員一人は焼死体で発見、九大法医学教室で解剖の結果、死因は 脳損傷とCO中毒。もう一人の店員は危篤状態 *奪った21万余は尾田が16万、共犯に5万の山分け。凶器の登山ナイフは博多駅裏の 空き地から発見。 *公判で尾田の弁護人は精神鑑定を申請、筑紫郡の精神病院に入るが脱走、まもなく逮捕 *1970年11月12日 最高裁 上告棄却 死刑確定
|