- 死刑賛成派と反対派の対談スレ◆Part27
782 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 17:49:40 ID:JigZtxUz0 - >>774 わしは>>265以降は書き込みはしとらんて。
それよか、ぬしは自由意志否定論が故意概念否定などといったら、 わしのみならず、法学部の教授、准教授どころか、 刑法を理解しておる学部生にすら笑われるぞな、も〜し〜。 ぬしの刑法の構成要件理論の理解のなさにはあきれるわな。 繰り返す、 法学部の学部生にすら笑われるレベルの刑法の理解ぞな、 せいぜい、ここで小山の大将をして、 公的な場では発言せんほうがぬしのためであろうな。 精進されたし。 以上だ。
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784 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:07:13 ID:JigZtxUz0 - >>774 わしがあれだけ教示しとったのに、
未だに民法の私的自治の原則(契約自由の原則)との区別すらついとらんのか、 ぬしの大学に久しぶりに戻って教授に頭を下げろとあれほど言ったのに それすらせんと基本的なことも知らんと書くぬしの夜郎自大さ、厚顔無恥にはあきれるわなw。 ええか、 民法の言うところの自由意思とは、 意思能力がある、意思形成過程に意志の欠けつがないこと、瑕疵がないことを言うにすぎん。 刑法で言うところの自由意思とは道義的責任論か社会的責任論かの議論の前提として論じる議論。 民法の自由意思は意思表示を有効にするための要件として論じる議論。 そもそも、民法と刑法とは別の法なのであって、自由意思を同じ次元で論じる必要はない。 刑法は刑罰を与えるという最大の人権制限行為なのであるから、 民法が債権債務関係を成立させるための自由意志概念の要素とは別であっても当然のこと。 刑法ですら、犯罪類型によって、暴行の定義などの概念の定義の幅が違うことはあるわけでな。 悪いことは言わん。 わしのこの文章を印刷して、ぬしの法学部の教授のところに持っていきたまえ。 わしが正しいとぬしの大学の法学部の教授も言うよ、 その教授が刑法の自由意志肯定論者だとしてもなw。 東大教授、最高裁裁判官に聞いても答えは同じだということは付記しておく。 謙虚になり、精進することをお勧めする。 狂信的死刑主義者よろしく、馬の耳に念仏かもしらんが。 よろしいね。さらばだ。
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785 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:13:25 ID:JigZtxUz0 - >>778 ええかげんにせえ、故意とは自分がしている行為を認識してやっておるかということだろ。
そんなもんは自由意思があろうがなかろうが、認識しとるにきまっちょるだろが。 たわけぬかすな。 あほくさくて相手にできん、これ以上、恥をさらすな。 そんなことをしとったら死刑主義者にすら首にされるぞ。
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786 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:15:38 ID:JigZtxUz0 - 訂正 上の>>773は>>783や。 773氏には失礼をした。さらばだ。
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787 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:19:26 ID:JigZtxUz0 - 訂正もまちがっとったな、>>773やなしに>>778やな。
ええか、「存置派」君よ。貴君はまったく刑法理論がわかっとらん、恥ずかしいほどに。 大学の学部レベルの刑法も理解できんなら、刑法理論を論じるな。 死刑を論じるのはええ、それは国民の権利や、だが刑法理論を貴君は論じるには最初から出直しや、ええな。
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788 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:24:46 ID:JigZtxUz0 - わしは、久坂部羊の「神の手」(上・下)を先日読み終わった。
安楽死がテーマの本や。 ぬしらにもおすすめしておこう。思考の幅が広まろう。
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789 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 18:26:16 ID:JigZtxUz0 - http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%89%8B-%E4%B8%8A-%E4%B9%85%E5%9D%82%E9%83%A8-%E7%BE%8A/dp/4140055839
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799 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 23:02:01 ID:JigZtxUz0 - >>795 ええかげんにせえ、これ以上、生き恥さらすな。
民法の議論はええ、なして、意思主義だ表示主義だの民法の議論をせなあかんのや。 ぬしの反論した民法の自由意志論の議論は>>784をもって足りる。齟齬もない。 The End 議論する必要は全くない。The game is overや。 次のぬしの反論 「凶悪犯のみに意志決定の責任を負わせてないアンバランスにあるんだ。」 前も全く同じことをぬしは言い、それについてわしは答えた。 文盲か、ぬ〜し〜???日付入りのコピペでもはっちょるか、わしに手間かけさせんなや。 前回のスレをたどればはっきりと書いておる。 凶悪犯だろうが軽微な犯罪だろうが、責任は取らせる、社会的責任をと。 再犯防止、それが特別予防(犯罪者に次の犯罪をさせないようにする)の意義であろう。 そして終身刑囚に限っては再犯はありえん、残りの人生は一生塀の中なのだから。 特別予防の再犯防止の意義はむしろ、刑期を終え、塀の外に出てきた人間の処遇の問題だ。 刑事政策、社会政策、広く社会の問題である。 「あらゆる人間は全ての場面において意志決定の自由を持たず、従って責任を追わない」 →あらゆる人間はすべての場面に置いて意思を持ち、 従って、違法性阻却(正当防衛など)及び責任阻却(心神喪失など)をされない限り、 社会的責任を負う。 アホか、ぼ〜け〜。 たいがいにせえよ。 刑法の学習からやり直しや、出直して来い。 刑法議論をしないで自由に死刑を論じるのは国民の権利や、 憲法で保障される表現の自由や、このスレもな、おっw。
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800 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 23:03:11 ID:JigZtxUz0 - ええか、わしは自由意志否定論やが、100%自由意志肯定論者など今の日本の刑法学界にすらまずいない。
今の日本の主流は、自由意志否定論と肯定論とを足して割ったものや。 厳密な意味での自由意志肯定論者など刑法学者には1人もいないであろう。 んなの常識やんけ。 さかいに道義的責任論と社会的責任論とが並存しておる、 どちらに重点を置くかや。 それだけでも議論の価値、国民への啓蒙の価値はある。 わしは自由意志定論、社会的責任論者やがな。 繰り返す、たわけ抜かすな。 >>794 むしも挑発してはいかん。悔しいとはまさに感情論。 「悔しくて、悔しくて」の本村氏とかわらんて。 刑法の目的は一般予防、特別予防、応報刑、これしかない。 終身刑で一般予防と特別予防とは足りる。 応報刑の折り合いをどこでつけるか。 自由意志否定、社会的責任論からは終身刑で応報刑の折り合いをつける。 加害者もまた持って生まれた脳、育った環境、 そして、脳のRandomness,不確実な機能に動かされた同情すべき被害者や。 人間は社会を構成する犯罪者を含めた他人を理解せなあかん。 それが人として生まれたものの責任や。 オウム被害者の河野さんも言っておる、「憎しみからは何も生まれない」とな。 いずれにしても、刑法理論に関しては存置派君は大学学部レベルもおぼつかない。 悪いことは言わん。もう一度、勉強し直したまえ。 以前も書いたが、上で貴君の過ちを添削したように誤読が多すぎる。 当方の論理すら理解せずに反論しておるから、議論にすらならん。 返事はいらんw。さらばだ。
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801 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞[sage]:2010/10/09(土) 23:14:23 ID:JigZtxUz0 - >>795 しっかり読まんかい、ぼ〜け〜。
420 :自由意志否定、社会的責任論者からの啓蒙の辞:2010/09/23(木) 10:10:20 ID:+LZtC+p00 自由意思がないゆえに、行為者人格の犯規範的態度に対する道義的非難はありえない。 だが、社会防衛の見地から刑罰は必要。 では、どうするか。 刑罰の目的が社会防衛(一般人に犯罪を思いとどまらせ、犯罪者には再度の犯罪をさせないようにすること)である以上、 刑罰の目的は犯罪者に対しては改善更正する外部的環境因子を受刑期間に与えることである。 受刑中の外部的環境因子により改善更正し、社会防衛が果たせれば、その者は出所させても無害である。 福田の場合には、悲惨な生育環境であり、若いときの犯罪であるゆえ人格の可塑性もあり、 現在の拘留中にも人とのふれあいもあり、外部的環境因子によって改善更正しているようである。 改善更正すれば社会防衛の見地からの死刑の必要はなかろう。 ではそうでない者に対してはどうするか。 例えば、愛犬家殺人の関根のような人格的殺人者に対してである。 仮に外部的環境因子の影響をもってしても改善更正が不可能であれば、社会防衛の見地から出所させるわけにはいかない。 社会防衛のために塀に閉じ込めておけばよい、つまりは仮釈放のない終身刑である。 死刑に関しては、関根に意思決定の自由がない以上、責任を問うことはできず、ゆえに、 反規範的人格態度に対する道義的非難をすることは、被害者の側からの論理であり、 加害者の側からは責任なき非難を受けることとなり、フィクションであることは言うまでもない。 ゆえに、死刑という制度は責任という理由からは存在しえない。 では、どうするか。 社会防衛の見地から壁を作り、塀の中に閉じ込めておけばいいのである、つまりは終身刑である。 以上、死刑論の是非は自由意思の存在を立証することから始まることを肝に銘ずべし。 なお、本村自由意思のない、意思決定の自由のない脳に対して、フィクションとしての非難、 そもそも存在しないものを感情的に非難されてもそれは当方の関知しないことである。 当方のこのスレでの記述は誤った観念をもとに死刑論を論じる人間への啓蒙としてのみ存在するというのはこの所以である。
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