- 田舎でありがちなこと10
247 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 05:56:53.20 ID:H/5hMP/h - その、あなたらの相手側の人らもまた
あなたらを理解できないと考えてるけどね
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248 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 06:10:04.67 ID:H/5hMP/h - >>235の彼は周囲の、人々らの日常の様々な事柄において
評価(判断)基準が違っていて、そのようになったわけで。 でも、>>235好きなようにやらせるというのもひとつの手ですよ。 いずれ彼らのそのモノサシがナンボのものだったと、 どこかで表沙汰になるもやってくるのですから。 そのときこそ、彼らの自尊心が根元から ポッキリと折れることになるのも避けられないのですし。
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251 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 08:25:05.26 ID:H/5hMP/h - >>249
彼らの好きなようにさせてみれば? 彼らがあなたに対しそのような時間を費やすればするほど それを見ている耳にしている彼らの子供たちは 見事なサイコパス気質を兼ね備えることになりますから。 負の方向での排他的な空気を先頭立ってやってる人は 非常に高い確立でサイコパス。それはご存知ですよね。 そういった環境の中で 子供がちは何の疑問もなく そういう人らがしていることは当たり前のこと、正しいこととして 刷り込まれていきます。 子供はよりその性質、対人関係こそ当たり前とする人に育ちます。 カエルの子はカエル化といういうことなんですよ。 だって、 ムラ社会では、それに自分らに沿わない人は 彼らサイコパス状態の人の手で潰されたり追い出されたりする という法則がしっかり働くのですから。
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252 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 08:30:17.17 ID:H/5hMP/h - 訂正
彼らがあなたに対しそのような時間を費やすればするほど ↓ 彼らがあの彼に対しそのような時間を費やすればするほど
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253 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 08:55:22.47 ID:H/5hMP/h - 具体的なことは言っちゃ駄目だから
このような表現になるけど 社会のどこにでもいる、 他から受け入れられにくいサイコパス気質を人を 取り込んで大きくなったコミニュティというのがある。 そういう性質の人を率先して取り込んだ=比率がそれだけ高いことから コミニュティの住民は当然としてそれの影響を受けた。 だって仲間なんだから。 いつしかその部分の性格が目立つところも現れ、 コミニュティの人らに対する先入観も自然と出来ていった。 その社会現象が当てはまる田舎集落もあるかもね だって、集落というのもまたひとつのコミニュティなんだから
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255 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 11:59:21.81 ID:H/5hMP/h - 大きなスパンで考えることがまず苦手なんでしょ
また、スケールを大きくすると 風船に書いた絵のようにただ肥大するだけで 中身を詰めるに詰められないという (小学生が書くようなレベルのマッピング力しかないと それが顕著に出ますから)
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257 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 12:08:45.70 ID:H/5hMP/h - 都会田舎関係なくですが、
総合的な考えができない =自分が目で見た覚えたそのサイズでしか 当てはめられない 拡大とか縮小させて連動変化していくことが難しい 何かにおいて極端に大きなものと極端に小さなもののの間に 入る事例の知識が乏しい状態だと フレキシブルな発想が出来ない。 それに伴うルールも周知していないとそのぶん難しい。 いわゆる建築家などが そういう方向性で飛び抜けた発想力を持った人種ですが
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259 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 15:05:11.88 ID:H/5hMP/h - しかも偏見で形を形成するから というより
最初に得た認識(先入観)に忠実。 その事柄の信憑性云々というより 与えてくれた人に対する信頼度がその事柄の信憑性にとって変わるんだとさ。
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260 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 15:10:20.80 ID:H/5hMP/h - >>259は
先進国後進国関係ないんだって。 いつ時代もそうだってさ。 日本だけでなく、ヨーロッパなどキリスト教世界などの 宗教コミニュティの歴史においていつも見られていることだし。
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261 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 15:37:55.10 ID:H/5hMP/h - いつの時代も人間関係の土台になるのが>>260
ただし、 それの上に乗るスキルとか知識が十分に働かない状態とか 後進国のようなコミニュティだと >>259の法則が全部に適用されるんだそうな。 >人類学 はるか昔、中世の時代なんぞ今のようが科学文明など無いし、 下の階級になる人ほど文盲だったこともあって >>259の関係そのものだった。 教会つながりの、その上の階層の人が教える事柄ほど 信憑性が高いものとして住民に広まったほど。 「その教会コミニュティ」をムラの集落とか自治会 「大司教とか司教」をムラの長とか一族の長とかに置き換えてみると好い
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262 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 16:03:07.12 ID:H/5hMP/h - 都会の人だから優れているわけでもない
都会の人だからといって何でも知っている、 なんでもこなせるわけでもない。 人間社会は、すべてその人が属するコミニュティの中に存在する知識、 技術を互いに補いあっている。 大都会は人の数が多いだけ多岐にわたるものがあり、それに出会える機会に 田舎よりは恵まれている、ただそれだけ。 その日常認識の違いが常識にも反映されることになるのも。 大都会でもその人の縦の人間関係、横の人間関係が乏しい、 さらに斜めの人間関係が乏しいとそれだけの人になる。 だといって、田舎は人間関係が濃いから大丈夫という単純なものでもない。 田舎だと人の数が限られるだけ縦、横、そして斜めの関係も数が限られる ということもありえる。=その人が何かと誰かから教えてもらえる機会 新しい物事に触れることが出来る機会も限られることになる。 その時点までで、知りたるものがその人の世間というものになる。 特定の人らとベタベタの関係なほど それ以外の関係とは距離を置くことにもなる。 =その人にが遠い世界、無縁となる確率が上がる =自分たちの世間以外を全く気がつくことが出来ない状況を作る とかも。
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263 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/08/18(木) 17:42:15.79 ID:H/5hMP/h - これもね
何かしらにおいて 誰かに教えてもらう 人はそうして何かの現象に意味、理由を与えてもらい まず覚えたとおりに理解していくという。 ここでひとつの現象にひとつの意味、理由という関係ができる。 日常においてそれで終わる人は ひとつの現象にその覚えた意味、理由しか当てはまらない そこまでの理解で終わり、 常にそれだけで答えを出してしまうことになる。 そういう習慣が身についていく。 ある意味思考がそこで停止と紙一重 そこから先とか掘り下げるとかのものがない。 対し、専門家とか云われる人種の人はその先に入っていく人。 そして他のさまざまなものとの関係も見ていく。 当然前者の人とはスケールまで全く違うことになる。 日常習慣が正反対と云っていいぐらい。
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