- 田舎でありがちなこと9
933 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 17:10:02.51 ID:5LN4iPN5 - >>927
田舎であれ、都会であれ、 正論とか多様性といわれるものの使われ方は、その人の価値観と 認識しているものにだけ当てはめられるというのだそうです。 誰しも知らないものには当てはめてみることなどないのです。 その人の価値観でもって良いとされない分野にも考慮しないのも。 想像とか推察という行為もその人の価値観に沿ったものと すでに知り足る範囲でしかできないことも。 当然、世間が狭い人ほど いわゆる「理解」とか「受容」にも限界、壁がある。 それだけ見た目人としての器も小さいものと紙一重に感じてしまうのも。
|
- 田舎でありがちなこと9
934 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 17:19:05.46 ID:5LN4iPN5 - とあることで
誰かが自分とは何かの部分において違う理解、受け止め方をしている そのことに対する理解力も その人の世間の広さに比例してしまう。 世間が狭い人ほど 自分の知っている内容と別の人が市っている(認識している)ことの違い を理解できない、そういう現象がおきます。 知らないことがわかってないぶんだけ 何かと当てはめてみて 自分には照合するに足る知識がない、幅も奥行きもないことに 気がつかないからなのですが。 また、いとも簡単に決め付ける状態になるのは 他に当てはめてみるものが実に少ない、他に該当するものが皆無な 状況におこる ということです。 それらを踏まえて 正論とか多様性の使い方認識の仕方を観てみると良いです。
|
- 田舎でありがちなこと9
935 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 17:27:57.89 ID:5LN4iPN5 - 何かしらにおいて自分にはわからないことがある
それを強くわきまえている人ほど認識に余白を作るものです。 自分の今現在の認識では不十分だとわきまえるという形です。 結論を出すことに保留する という状態を自然と作るのです。 対して決め付けが常習性の人は 結論を出すことに保留など皆無という反対の性格を持ちます。 また実に単純なひとつの結論で終わるという性格も持ち合わせます。 その先も展開もない、ということになります。
|
- 田舎でありがちなこと9
936 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 17:33:07.19 ID:5LN4iPN5 - 一神教の、その原理主義者らをイメージしてみてください。
彼らに共通するのは 宗教上の価値観ですでに結論に達している答えだけ正しいとして 他の理解、解釈は一切受け付けないという生き方なのですから。 そんな彼らの正論とか多様性の解釈日々の適用がどんなものか、 知れば知るほど、彼らの判断ってなんでああいうものなのか? に対する答えにたどりつけますから。
|
- 田舎でありがちなこと9
937 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 17:55:06.23 ID:5LN4iPN5 - 福島第一であんな事故があって
放射性物質が広い範囲に拡散した、そのとき その人その人の放射性物質というものに対する理解の仕方、 そこからの対処の仕方にも実に大きな違いがありましたよね。 後に放射性物質の汚染つながりでも、 官庁の人らでの世間感覚の違いで 今回の汚染稲ワラ使用問題で汚染牛肉が広く世間に出回ってしまった。 これもその人が知りたる世間(その日常範囲)の違いが もたらしてしまったものなのです。 誰も知らないこと、気がつかないことには 当てはめてみることなど出来ない。 官庁の役人でも農家の現状という日常世間を実は知らないわけで。 農家の人らもまた教えてもらえないことには そういうことに気がつく人もいないのです。
|
- 田舎でありがちなこと9
938 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/07/26(火) 18:00:46.03 ID:5LN4iPN5 - 農家の人も、官僚の人らも、食肉流通業者も
それぞれすでに認識している事柄にだけ当てはめ 結論を出していたため、 こういうことがおきたというものなんですわ。
|