- 田舎でありがちなこと9
292 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 17:22:10.02 ID:6ixfFUQS - 一時的に大海を知るも、
それまでの知識は井戸の中で身についたものだけ (≒そういうモノサシ)なので、実際は大海の一部分だけを 大海そのもの(ほぼ全容)を知ったと思い込むんだってさ。
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- 田舎でありがちなこと9
293 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 17:46:47.67 ID:6ixfFUQS - ○○のことを知っているということにおいても
その人が知っている中身は おもちゃのピンホールカメラで撮影した画像から 6x4.5cm(セミ判)のカメラで撮影した画像のように 実は個人差がはなはだしい。 でも、当人は実によく知っていることになってる。 焼き増しのように引き伸ばしとか そこから展開、拡張させて見れば、すぐに違いが明らかになるけどね。 人物のついても四コマ漫画の絵のように 輪郭がはっきりしてるだけレベルでありながら 当人はよく判っていることになってたり。 それ以上のことを深く知る掘り下げることを全く知らないことで そういう現象になってしまうのだとか。 (当人にすればその時点で満点行き着いてしまってるため) 当然自分の行き着いたものより深いものは、 逆に意味不明とか無意味なものに転じてしまうということに。
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294 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 17:52:52.80 ID:6ixfFUQS - 「じぶんだったらきっと出来る」
いわゆる自分を信じる、その意気込みも、 その人の出来る範囲、クオリティに沿ったものでしかないのとかも。 その人がいくら「出来る!」と言い張っても 達人から見て「これだったらおk」とは限らないんだってさ。
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- 田舎の人間関係('A`) 9
116 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 18:04:44.48 ID:6ixfFUQS - 自分と他人の区別のつかないもの同士ではなく、
あなたが思っているものとは違い 彼らは必要以上に区別しないというものですけどね。 仲間という言葉で現す関係のように。 仲間意識最優先で他は二の次三の次の思考、 仲間意識最尊重で他は二の次三の次の価値観、 仲間意識最尊重で他は二の次三の次の認識感情、 問題なのは 仲間意識だけで生きている人ほど 自分たちの仲間で共通している意識、認識を阻害する事柄を 徹底して軽視することになること。 自分たちの仲間共通のモノサシのみしか認めないという。
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- 田舎の人間関係('A`) 9
117 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 18:22:24.31 ID:6ixfFUQS - 価値観の多様化という言葉で現されるものも
彼らは絶対仲間同士のものを最尊重で(実質ほぼ100&近く)、 それ以外のことは二の次三の次、 四五がなくて六の次のごとくの構図になっている「多様性」だったり
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- 田舎の人間関係('A`) 9
118 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 18:24:47.14 ID:6ixfFUQS - 歴史認識の多様性ということについてもこの法則が当てはまり
彼らは絶対仲間同士のものを最尊重で(実質ほぼ100&近く)、 それ以外のことは二の次三の次、 四五がなくて六の次のごとくの構図になっている 「多様な歴史認識」だったり
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- 田舎でありがちなこと9
298 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 19:22:44.54 ID:6ixfFUQS - >>296
てか、自分の自尊心を守るためだよ。 たとえ○○の連れションのごとく、どんなことでも誰か先に動く、 一緒に動いてくれる人が(それも出来るだけ多くの人が)いないと 自分は動けない、そんな判断力、行動力の自分であっても その次元の自尊心を守るために、 自分と正反対の立場にある人を認めるわけにいかなくなる。 その傾向が人一倍強い人ほど、相手を阿呆馬鹿呼ばわり連呼で 対抗するんだと。(それしかできない、その手段しかないのだと) ※ ○○の連れション傾向が強い人ほど仲間意識が強い 仲間意識しか持ち合わせて居ない人ほど 仲間か仲間でないかの二択しかしないのも。 (他で対処するスキルを十分に持っていない≒思考展開方法も) 連れション傾向が強い人ほど 日常の隅々まであらゆる関係がスパイラル化するそうですね。
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119 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/06/20(月) 20:15:57.81 ID:6ixfFUQS - 仲間意識最優先という構図と
他に必要なものが全くもって足りていない人らとは ほぼ同じと見ていいらしい。 尖閣諸島中国漁船衝突事件がおきたとき、 中国国内でも大都市圏と地方とでは 住民感情が微妙に違っていたということがありましたね。 文革のときに有識者らが徹底して排斥された中国では 地方に行けば行くほど有識者階層の人らの数が足りない。 当然国際感覚など皆無といっていい。 ≒他に必要なものが全くもって足りていない人らならではのナショナリズム で、船長が帰国してもあのとおりだったと。 それをムラ人間のナショナリズムに当てはめてみるといいですよ。 他に必要なものが全くもって足りている人ら(他所の立場、 歴史観などを十分に理解できる人ら)が多い地域と、 そうでない、全く持って足りていない人らが多い地域で それぞれ見られる事柄の違いを。 双方に必ず仲間意識は十分にある。 でも片方に他が十分にある人らと、そうでない人らとがあること。
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