- 田舎の人間関係('A`) 9
13 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/04/18(月) 09:14:03.08 ID:wu8aUIOz - 都会も田舎もその人が住む世間に沿った世界を学んでいくだけ。
たとえば、経済学と無縁の人々中心のコミニュティにいる人は、 経済学の話など無縁の経済のあり方のほうが正しいと思ってしまい、 それが災いとなって経済学の理論を持ち出し話にはさむと 作り話と受け止めてしまうことになる。 いつも周回遅れの経済、世間しか知らない人は 大都会の経済も同じ次元、速度で動いているようにしか 見えない。そのようにしか理解できないことも。 周回遅れの理屈しか知らないことから。 彼等はそれでこそ話が通じると思っているんですよ。 そんな彼等は信頼できる筋(たとえば地元紙とか)から教えられて 初めて「そういうものがこの世にある」という事を知るはめに。 それもまた、住民の日常習慣でもって 「認知の周回遅れ」にしてきたことだったり
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14 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/04/18(月) 09:27:09.11 ID:wu8aUIOz - 大都会の人は何でも知っているわけではなく、
住民が実に多いことから、その分野その分野で長けた人が 「高い次元の考え」を世間で起きていることに当てはめ、 他の住民が知らない間に整合させ、先に進めていく『便利な仕組み』が 備わっているのですけどね。 それがいつしか(時差を作らず)大都市の住民は 「そういう高い次元で整合させたもの」を知ることに 恵まれることになる。 でも田舎ではそのコミニュティの中で 誰もが知り足る次元でのみ通用する理解、認識しかない ( これもある意味、そういう平等感が働いてしまうことから )
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15 :名無しの権兵衛さん[sage]:2011/04/18(月) 09:43:47.20 ID:wu8aUIOz - おもしろいのは
まじめ=決して破目をはずさない ということに対し 人は、その人がそう覚えた、学んだ、身に付いたことに対して まじめに取り組む関係があること たとえば、「経済学関連の理解などこの世にないもの」ということを 身につけた人はまじめであろうとすればするほど 「経済各関連の理解などこの世にあるはずがない」と信じてしまう ≒そのまじめさに比例して疑うことをしてしまう 当然相応の汚語が口から出る態度に出る人もいる でも当人はそれこそ自分の身についた事にまじめ 結果もその通りでなければ「おかしい」「アホなこと」としてしまう。
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