- プロが見て細木数子の料理の腕前ってどうなん?
108 :名無番長[sage]:2013/11/24(日) 09:50:35.01 ID:b0TdydFo0 - 56 :陽気な名無しさん:2013/11/15(金) 18:50:48.56 ID:iVDn8SY70
そもそも島倉の最初の借金の原因は、1961年にファンが投げたテープが目に当たり、失明か?と騒がれ、五反田の眼科医Mが治療し、完治させた。この時、島倉は元阪神タイガースの藤本克己内野手と結婚していたのだが、島倉はMに愛情を持ち、不倫関係になってしまった。 その後、藤本と離婚した島倉はM医師と夫婦同然の関係になり、Mの新事業ための資金作りに利用され、2億400万円もの手形の裏書までしてしまった。事業に失敗したMは逃亡。 この手形を手に入れた暴力団は「裏書人の島倉千代子が払うのが当然!」(これは法的には正しい)と連日、島倉の公演先にまで押しかけ、攻めに攻めた。 57 :陽気な名無しさん:2013/11/15(金) 18:53:34.66 ID:iVDn8SY70 連日、暴力団に追い回され疲れ果てている島倉の前に、救世主のような顔で登場したのが、暴力団組長の情婦だった細木数子である。私が大物政治家の秘書だった関係でその筋から調べると、借金取りに押しかけていた暴力団と細木の“情夫”だった暴力団組長はグルだったのだ。 島倉に暴力団情婦を隠して近づいた細木は、白々しくも「暴力団に追い回されているお千代を救いたい。二人で借金を返していく」などと、二人で「ミュージック・オフイス」なる芸能事務所を設立。細木は島倉千代子の後見人と名乗り、二人で会見までしている。 当時、絶望の淵に追い込まれていた島倉には、その時の島倉には恩人か救世主にも見えてしまったのだ(当時、細木と暴力団組長の二人は島倉の高級マンションに住んでいたことが後日判明している)。 会見を偶然テレビで観た私は、島倉の隣に細木がいるのを見、「これは島倉が食いものされるぞ!コロンビアレコードがなぜ救わないのか」と思ったが、余計なことを言う立場でもなく、黙っていた。 それ以降、島倉はその当時まで電車に乗ったこともなく、切符の買い方さえ知らなかったが、「借金を返すんだから」と細木に高飛車に言われるままに、電車で仕事場に行くほど続け働きに働いた。が、借金は減るどころか12億円にまで膨れ上がっていた。
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