- 【悲報】フェンダージャパン終了 [転載禁止]©2ch.net
120 :ドレミファ名無シド[sage]:2015/06/04(木) 11:41:08.92 ID:N+2dWS13 - >>109
NCルータで削って終わり、じゃないよ 通常のメーカーなら、 NCルータは、いまでも荒削り目的にしか使用されておらず その後人の手で微調整が入る 木は個別に癖があるので、他の工業製品のようにはいかない
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121 :ドレミファ名無シド[sage]:2015/06/04(木) 11:48:58.97 ID:N+2dWS13 - >>119
無いよ そもそも楽器にNCルータを使うという発想自体 当時としては思いもよらないもので、米国ならなおさらだ 日本では、たまたまロボット産業技術が発達していて たまたま自動車メーカーの金型技術に使われていて たまたま、新しいことに貪欲な社風の東海楽器の社長、足立忠之が 本田技研の長篠宮茂氏と小学校の同級だったため 本田技研の加工技術を知る立場にあった そこでNCルータをギター製造に転用しようと思いついた 3年後、その成功を見て、フジゲンがNCルータを導入した 日本人ならではの発想なんだよ
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125 :ドレミファ名無シド[sage]:2015/06/04(木) 14:25:21.77 ID:N+2dWS13 - >>122
なるほど 東海が導入も70年代 同時期に無関係にスタートしたのか、風の噂で聞いたのか
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127 :ドレミファ名無シド[sage]:2015/06/04(木) 15:15:24.74 ID:N+2dWS13 - 自分の理解だけど、70年代の日本の状況
モズライトなエレキが1969年のフォークブームで一掃された後に 1970年あたりに、Zeppelin、Deep Purple、JeffBeckGroupが来日し、人気を博し 神田商会のグレコでのレスポやストラトのコピーギターが台数シェアで60%まで市場を寡占する 一方で東海は、フォークブームに乗っかっていて、キャッツアイとか作っていた(1975) 東海がコピーギターに後発参入するのは、後の1977年 STシリーズ この時に量産に耐えられるように同時にNCルータを導入している コピーギター競争があったのは、1977年からフェンジャパの1982年の5年間のみ
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128 :ドレミファ名無シド[sage]:2015/06/04(木) 15:18:40.26 ID:N+2dWS13 - 70年代の米国での状況
1971年にLeo Fenderが、 CBS Fenderの顧問の職から去り、タガが外れる 市場の増産要求に応えるため、NCルータを導入....ではなく、 楽器の構造や生産工程を簡単化、省略することで乗り切ろうとする そのため70年代初頭から、品質が徐々に劣化 70年代終わりには、売り上げ、評価ともに悲惨な状態に陥り、 ビンテージが持てはやされる一因にもなった 1981年にCBSは、Fender建て直しのためにマネージメントを募集する そこでBill Schultzが取締役に就任→フェンジャパへの流れ、CBSからの独立となる Fenderへの技術指導で、フジゲンが最初に教えたのは、NCルータの使い方だそうだ やはり、遅れていたと考えざるを得ないのでは
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