- 【バクネヤング】 松永豊和のスレを立てずには居られない
389 :名無しんぼ@お腹いっぱい[]:2008/07/03(木) 08:12:38 ID:9x/pmKLe0 - でもこの人って自分の全作品を自画自賛してるよね。
単にマンガ描くの嫌になったから言い訳で言ってるだけじゃないの? よっぽど小説家として認められたいんでしょ。 アンチの人たちも漫画界に松永を引き留めようとするのをやめたら? 嫌いなんでしょ、松永。 それとも文学の世界で活躍されるのはもっと嫌なの? 嫌いならほっときゃいいじゃんw
|
- 【バクネヤング】 松永豊和のスレを立てずには居られない
396 :名無しんぼ@お腹いっぱい[]:2008/07/03(木) 12:01:19 ID:9x/pmKLe0 - 本誌編集者:「(前略)松永さんが『邪宗〜』を発表したのとほぼ同時に、
『少年サンデー』で連載されていた雷句誠さんが訴訟を起こしたじゃないですか。 それに呼応して新條まゆさんもブログ上に『私も実は〜』という文章をアップしました。 一度にこういう訴えが噴出したことについて、松永さんはどう思われますか?」 松永 (少し考えて)運命、だと思いましたね。 ぼくが『邪宗〜』を書きはじめたのは2004年の10月やったんです。 それで第一稿を05年の5月に書き上げてるんです。 普通は、その時点でネットなりなんなりに発表しますよね。 でも、そうしなかった。 なぜ08年まで待ったかというと、それは占い師に言われたからなんですよ。 ――占い師、ですか? 松永 63、4歳くらいのオバチャンでした。 大阪で道を歩いてたら、向こうから声、かけてきたんです。 「あなたね、いまから3年は作品を発表しちゃだめよ。」 作品だけじゃないんですよ。引っ越しもしたらあかん、飛行機も乗ったらあかん、恋愛もしたらあかん。 「結婚なんて、絶対あかんから」。もう無茶苦茶言うんですよ。 ――そんな……よく信じましたね。 松永 オバチャンの言うとおり、その直後からスランプが来たから、ということもありますね。 「あんた、いまからアカンようになるよ。仕事も来ぃへんようになるよ」って言われて、 来たらどうするんですか?とこちらも言い返すじゃないですか。 そしたらオバサンは「来たら来たで、ええんちゃう」。 じゃあ、そのときは受けてもいいんですね? 「うん! ……でも来ぃへんけどな」(笑)。 そしたらほんまに3年間、1本も来ぃへんかった。 ――……
|
- 【バクネヤング】 松永豊和のスレを立てずには居られない
397 :名無しんぼ@お腹いっぱい[]:2008/07/03(木) 12:02:03 ID:9x/pmKLe0 - 松永 それからおそろしくなって、08年までぼくはずっと黙ってたわけですよ。
ほんで08年になってホームページを立ち上げました、5月に『邪宗〜』をアップしました、 そしたら、このタイミングですよ。 だから雷句さんの問題が起きたときにね、怒りと同時に笑いましたね。あ、こういうことやったんや、と。 ぼくがひとりで『邪宗〜』を書いたとしても、被害妄想で終わるんですよ。 雷句さんがひとりで訴訟を起こしても、新條さんがひとりでブログに書いても、被害妄想で終わるんですよ。 3人がまとまったからこそ真実になるんですよ。 そのタイミングは、だいぶ前から決まってたんです。ぼく個人的には。 ――松永さんが『邪宗〜』の中で《上から目線の言い草》と描写していた編集者が、雷句さんのブログでは、 常に《喧嘩を売る態度》だったと書かれていたのには笑いました。 マンガ家にガンを飛ばす編集者なんているはずない!という論調だったネット書き込みも、あれで一変しましたよね。
|
- 【バクネヤング】 松永豊和のスレを立てずには居られない
399 :名無しんぼ@お腹いっぱい[]:2008/07/03(木) 12:06:19 ID:9x/pmKLe0 - 【あの松永豊和の日記】より
このたびの漫画家たちの叛乱、ヤングサンデーの廃刊なども含めて、 松永豊和にとって何から何まで都合がよくなる事態が起きる、ということが、 実は2005年の2月の段階で予言されていた、という事実について ちょっぴり書かれていますし、 そこは読む価値あるかな? インタビューではもう少し詳しく話したんだけどなぁ。 それは『邪宗まんが道』の「あとがき」にも少しだけ書いた、占い師のことなんですが、 このことについては、いずれ、僕の手によって詳しく詳しく書くつもりです。 面白い話ですから。たぶん、書きます。 でもまあ、それは今後の僕の運命がどうなるかで決まりますね。
|
- 【綱本将也】GIANT KILLING 第12節【ツジトモ】
284 :名無しんぼ@お腹いっぱい[]:2008/07/03(木) 12:08:21 ID:9x/pmKLe0 - >>3-5-6
|