- 飛田新地149周目 [無断転載禁止]©bbspink.com
364 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 12:51:23.85 ID:c3MaG53K0 - 1)
カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテス タントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎 原爆投下の十三年後の事でした。 第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽 力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島 から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなた の天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの 世の道を歩みます。。」と祈りました
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365 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 13:10:12.69 ID:c3MaG53K0 - hernan_quetzalさん
. 編集あり2011/11/3023:43:20 . チャールズ・スウィーニー(B-29ボックスカーの機長)は2004年に亡くなっています。 著書、『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』によりますと だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。 破壊された周囲の光景が物語っていた苦しみは、日本の軍国主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。 後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。
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366 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 13:11:25.41 ID:c3MaG53K0 - 福原のソープとかだったら午前中から出勤してる嬢が
各店に何人もいてるけど飛田は昼間座ってる子ほんと少ないね いっつお同じ子ばっかり見るから結局夕方以降しか まともに遊べない。 夕方以降で遊んでるサラリーマンの人たちとか、帰るの遅くなるの何て言い訳して通ってるの? 僕は姫路から通ってて、パチンコ行ってるから帰るの9時ごろなるって言い訳してるんだけど 2週間に一回位しか行けてないんです。 ほんとは週2回でも行きたいんだな・・
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