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389 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:45:23.31 ID:2BG+oA6K0 - 1)
カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテス タントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎 原爆投下の十三年後の事でした。 第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽 力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島 から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなた の天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの 世の道を歩みます。。」と祈りました
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390 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:45:43.72 ID:2BG+oA6K0 - 2) キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われまし
た。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。 冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。 1959年、ローマでイエズス会士のグンドラハ) が法王ピウス12世の原爆戦争についての意見をまとめ、出版さ れた書籍は「原爆戦争そのものは不道徳的ではありません。。。。どうせこの世は永遠には続きません。。 。我々人間は世の終わりには責任はない。。。神の摂理でそういう結果に導かれてしまいました。」 3) 長崎に原爆が投下された後、医師として治療に当たり文筆家としても知られカトリック教徒でもある永井隆が、 長崎原爆を「神の御摂理」と解釈し、さらに、原爆死没者を「汚れなき小羊の燔祭(ホロコースト)」、生き残った 被爆者は「神が与えた試練であり、神に感謝」すべきと説いていたことが明らかになっている。このカトリック教 徒の何たる残酷なものの言い方であろうか。全く聖書の言葉を解し得ない反キリストである。所詮、偽りの宗 教組織である「キリスト教世界」なのである。
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391 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:46:05.65 ID:2BG+oA6K0 - 4) ベトナム戦争の時、米国の司教達はこの戦争は「十字軍遠征」だと言った。カトリック司教は北ベトナムの原子爆
弾攻撃で、南ベトナムのカトリック教会の防衛を望んだのである。また、プロテスタントの牧師キュンネトも「原子 爆弾は隣人愛の為に使える」と主張した。広島と長崎への原爆投下の十三年後の事であった。第二次大戦中、 米国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も、日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月、B29 爆撃機「エノラ・ゲイ」がテニアン島から離陸する直前、牧師が「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全 能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。これからも我々は 、あなたを信頼しながらこの世の道を歩みます」と成功祈願を行なったのである。キリスト教の神の下に、広島 と長崎島で20万人が残虐に殺されたのだ。聖職者達は勿論、神に感謝した 5) 第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力し た。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離 陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高 さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩み ます。。。(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」と祈りました。キ リスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。 勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。
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392 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:46:29.25 ID:2BG+oA6K0 - 6) 大半の長崎のキリスト教徒は、爆破から生き残れなかった。ゆるしの告解に出席していた全員を含め、6,000人
が即死した。12,000人の教会員のうち、8,500人が原爆の結果として亡くなった。他の多くの人々も極めて致死 的な全く新しい病気になった。放射能疾患だ。 近隣にあった三つの女子修道院と、キリスト教女学校が、黒煙となって消滅するか、炭の塊と化した。何万人 もの無辜のキリスト教信者ではない人々も即死し、更に多くの人々が、致命傷を負ったり、治療もできないほど負 傷したりした 日本の帝国主義政権が、200年間にわたる迫害でできなかったことを(日本キリスト教の破壊)、アメリカのキ リスト教徒は、数秒でなし遂げたのだ。アメリカ人が広島長崎に原爆を落としてもキリスト教徒として良心の 呵責に苛まれないのも神に許された行為だからであると考えるからだ 7) 原爆に感謝したいなら、作った人や落とした人、アメリカという国家そのものに感謝すれば良い 神が原爆を落 としたのではない 人が為した事に神を持ち出すキリシタンの鈍感と無責任
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394 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:47:17.33 ID:2BG+oA6K0 - チャールズ・スウィーニー(B-29ボックスカーの機長)は2004年に亡くなっています。
8) 著書、『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』によりますと だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。 破壊された周囲の光景が物語っていた苦しみは、日本の軍国主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。 後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。
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395 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:47:50.10 ID:2BG+oA6K0 - 9)広島と長崎への原爆投下は単に戦争を終わらせた恐ろしい出来事ではなかったということだ。多くの人々の
命も救ったのである。原爆は大日本帝国を平和主義者の国に変えたのだ。当時のトルーマン米大統領が週7000人 の犠牲者を出し続けることを選び、原爆投下を回避していたら、味方の命よりも敵の命を思いやっていたら、われわ れの大統領に対する評価は高まっていただろうか。 そうした状況下で2つの原爆が投下され、日本は敗れた。完全な敗戦である。軍事力に物を言わせて主張を 通す傾向がある文化がなくなった現代の日本は、その完敗にも恩恵があったということを証明している。 米国民が犯してもいない罪に罪悪感に苛まれている今日、われわれは広島の歴史から教訓を得るべきだろう。 広島の夜の明かりを見れば、その文化の穏やかさに気付くことだろう。原爆が投下されたことを神に感謝しよう
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396 :名無しさん@ピンキー[]:2017/08/07(月) 21:48:34.86 ID:2BG+oA6K0 - 1)
カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテス タントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎 原爆投下の十三年後の事でした。 第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽 力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島 から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなた の天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの 世の道を歩みます。。」と祈りました
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