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名無しさん@ピンキー
【横浜】NO.1【手コキ】Part29 [無断転載禁止]©bbspink.com

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【横浜】NO.1【手コキ】Part29 [無断転載禁止]©bbspink.com
256 :名無しさん@ピンキー[]:2017/04/08(土) 17:30:28.29 ID:Iq/FIWuA0
反転を決断するきっかけとなった、南西方面艦隊から発電されたとされる「0945スルアン灯台5度113浬ヤキ1カ機動部隊アリ」は他の戦闘詳報には記載がなく、誰が打ったのか、本当に存在したのか議論が続いている。
大和戦闘詳報にしか記載がない事から、栗田艦隊の捏造であると小島清文[403]や深井俊之助[404]などは主張している。
目撃証言と行動記録
ヤキ1カ電は電報自体の受電記録は、参加各部隊の何処にも記録はない。第一遊撃部隊の戦闘記録にも、旗艦だった戦艦大和や同乗していた第一戦隊などの戦闘記録にも何処にも受電の記録は無い。
唯一第一遊撃部隊の記録に11時50分に南西方面艦隊及び第一第二航空艦隊に対して「ヤキ1カの敵を攻撃されたし」と打電したという記録、そしてそれを受けて各部隊に「ヤキ1カの敵機動部隊を攻撃せよ」と命じた大西瀧二郎中将の命令記録だけである[348]。
これが捏造ではといわれる理由なのだが、電報自体は存在し、当時大和の水上観測機長だった伊藤敦夫少佐はこの時艦橋裏の作戦室に居てこの電文が読み上げられるのを聞き、その後海図台にあるその電報を見たと証言している[405]。
大和以外の艦でも例えば摩耶主計長で摩耶沈没後、武蔵を経て島風に移乗した永末英一はこの時島風艦橋にいて、「スルアン島5度113浬に敵機動部隊アリ」の電報が入った事を記憶している。
他にも当時軍令部第一部の作戦記録係だった野村実は軍令部の地図にヤキ1カ地点辺りに敵機動部隊の表記があり、自身も栗田艦隊の反転北上の報告を受けても「これに行くんだな」と思って何ら疑問に思わなかったと述べている。
この海図のヤキ1カ点付近の米機動部隊ありの表記は軍令部作戦部長の中沢祐も見ていて自身のノートに記載している[406]。
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257 :名無しさん@ピンキー[]:2017/04/08(土) 17:30:45.94 ID:Iq/FIWuA0
反転を決断するきっかけとなった、南西方面艦隊から発電されたとされる「0945スルアン灯台5度113浬ヤキ1カ機動部隊アリ」は他の戦闘詳報には記載がなく、誰が打ったのか、本当に存在したのか議論が続いている。
大和戦闘詳報にしか記載がない事から、栗田艦隊の捏造であると小島清文[403]や深井俊之助[404]などは主張している。
目撃証言と行動記録
ヤキ1カ電は電報自体の受電記録は、参加各部隊の何処にも記録はない。第一遊撃部隊の戦闘記録にも、旗艦だった戦艦大和や同乗していた第一戦隊などの戦闘記録にも何処にも受電の記録は無い。
唯一第一遊撃部隊の記録に11時50分に南西方面艦隊及び第一第二航空艦隊に対して「ヤキ1カの敵を攻撃されたし」と打電したという記録、そしてそれを受けて各部隊に「ヤキ1カの敵機動部隊を攻撃せよ」と命じた大西瀧二郎中将の命令記録だけである[348]。
これが捏造ではといわれる理由なのだが、電報自体は存在し、当時大和の水上観測機長だった伊藤敦夫少佐はこの時艦橋裏の作戦室に居てこの電文が読み上げられるのを聞き、その後海図台にあるその電報を見たと証言している[405]。
大和以外の艦でも例えば摩耶主計長で摩耶沈没後、武蔵を経て島風に移乗した永末英一はこの時島風艦橋にいて、「スルアン島5度113浬に敵機動部隊アリ」の電報が入った事を記憶している。
他にも当時軍令部第一部の作戦記録係だった野村実は軍令部の地図にヤキ1カ地点辺りに敵機動部隊の表記があり、自身も栗田艦隊の反転北上の報告を受けても「これに行くんだな」と思って何ら疑問に思わなかったと述べている。
この海図のヤキ1カ点付近の米機動部隊ありの表記は軍令部作戦部長の中沢祐も見ていて自身のノートに記載している[406]。
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258 :名無しさん@ピンキー[]:2017/04/08(土) 17:31:24.83 ID:Iq/FIWuA0
この問題は本海戦の評価の中でも最も多く議論の的となってきた。ここでは、この議論を幾つかの争点に分割して記述する。栗田艦隊のサマール島沖海戦後の反転の意図は戦史研究家などの間では「謎の反転」と呼ばれ、題名にその名を冠して記事を執筆する人物もいる。
海軍研究家として名高い池田清(重巡摩耶砲術士)は「レイテ沖海戦に寄せられる深い関心の大半は、この「なぞの反転」のなぞ解きにあると言っても過言ではない」と指摘している[402]。
これに関連して幾つかの議論が起こった。各艦隊の状況を列挙した後、主に反転と栗田についての議論を記す。
ヤキ1カ電の存在
反転を決断するきっかけとなった、南西方面艦隊から発電されたとされる「0945スルアン灯台5度113浬ヤキ1カ機動部隊アリ」は他の戦闘詳報には記載がなく、誰が打ったのか、本当に存在したのか議論が続いている。
【横浜】NO.1【手コキ】Part29 [無断転載禁止]©bbspink.com
259 :名無しさん@ピンキー[]:2017/04/08(土) 17:32:06.22 ID:Iq/FIWuA0
陸軍1個師団を載せた輸送船団(8万総トン)と北方方面を担当する第五艦隊に乗船した陸軍1個連隊をサイパン島に向かわせる
第一機動艦隊の残存空母瑞鶴、瑞鳳、龍鳳、隼鷹、千歳、千代田に練習航空隊や陸軍の戦闘機を中心とした約200機を搭載し、第二艦隊と共に出撃させる。艦載機は発艦のみとする。
第一機動部隊の約200機、硫黄島の八幡空襲部隊を中心とする約100機、ヤップ島の約50機、計350機をもってサイパンを攻撃し制空権を奪還、帰路は周辺のグアム、テニアン、ロタの友軍基地に着陸する。
第二艦隊はサイパンに接近し所在の敵艦隊を撃破。その後第五艦隊をサイパンに突入させ、その支援の下、陸軍1個連隊を上陸させ米上陸部隊を駆逐する
輸送船団をサイパンに入泊させ防御を固める[2]
しかし陸軍側にそのような余力がなく、連合艦隊も実施が困難と難色を示し計画は頓挫、6月24日サイパン島の奪回作戦は中止となり、同島は見捨てられた[3]。
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261 :名無しさん@ピンキー[]:2017/04/08(土) 17:35:18.53 ID:Iq/FIWuA0
0946 名無しさん@ピンキー 2017/03/28 07:06:46
砲弾については戦艦には砲弾が残されているものの、重巡はほとんど弾を撃ち尽くしていたことが記されている[382]。
羽黒は二番砲塔を失い、四番砲塔は弾薬切れ、健全3砲塔で残合計125発、さらに魚雷を使い果たしていた[383]。
一方、巡洋艦、水雷戦隊は利根のように単艦で発射した艦がいるものの[384]、サマール沖海戦では駆逐隊全艦等による統制雷撃を行っていない。
第十戦隊旗艦矢矧は9時5分に米護衛空母群に向けて魚雷7本(1本は不発投棄)を発射し、第十七駆逐隊も矢矧からの「発射本数四トス」の命令に従って同時刻に魚雷16本を発射と報告[385]。
うち磯風は魚雷8発を発射したと同艦水雷長が記録しおり[386]、第十戦隊の発射魚雷数は27本である。残魚雷は、矢矧7本(3本機銃掃射で使用不能)、第十七駆逐隊32本(磯風計算外。
実数28本)[387]。軽巡洋艦能代が率いた第二水雷戦隊の魚雷残量は第十戦隊より多い。


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