- 【横浜】NO.1【手コキ】Part29 [無断転載禁止]©bbspink.com
6 :名無しさん@ピンキー[]:2017/03/28(火) 03:33:19.61 ID:sPfmPQvV0 - インドへの侵攻作戦という構想は、ビルマ攻略戦が予想外に早く終わった直後から存在した。
インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であった。ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路 (援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍(国民党軍)を著しく弱体化できると考えられた[4]。 日本の南方軍は、「二十一号作戦」と称して東部インドへの侵攻作戦を上申した。1942年(昭和17年)8月下旬、戦争の早期終結につながることを期待した大本営は、 この意見に同調して作戦準備を命じた。参加兵力は第15軍の第18師団を主力とする2個師団弱とされた。 イギリス軍の予想兵力10個師団に対して著しく少ないが、 ビルマ戦の経験からはこの戦力比でも勝算があると考えたのである[4]。 しかし、二十一号作戦の主力に予定された第15軍及び第18師団 (師団長:牟田口廉也中将)はこの計画に反対した。 現地部隊は、雨季の補給の困難を訴えた。乾季であっても、 山岳や河川による交通障害、人口希薄地帯ゆえの徴発の困難などが予想されると主張した[4]。 現地部隊の反対に加え、ガダルカナル島の戦いの発生もあったため、同年11月下旬、大本営は二十一号作戦の実施保留を命じた。 ただし、あくまで保留であったため、現地では作戦研究が続行されるべきことになった[4]。
|
- 【横浜】NO.1【手コキ】Part29 [無断転載禁止]©bbspink.com
7 :名無しさん@ピンキー[]:2017/03/28(火) 03:34:40.73 ID:sPfmPQvV0 - 陸軍1個師団を載せた輸送船団(8万総トン)と北方方面を担当する第五艦隊に乗船した陸軍1個連隊をサイパン島に向かわせる
第一機動艦隊の残存空母瑞鶴、瑞鳳、龍鳳、隼鷹、千歳、千代田に練習航空隊や陸軍の戦闘機を中心とした約200機を搭載し、第二艦隊と共に出撃させる。艦載機は発艦のみとする。 第一機動部隊の約200機、硫黄島の八幡空襲部隊を中心とする約100機、ヤップ島の約50機、計350機をもってサイパンを攻撃し制空権を奪還、帰路は周辺のグアム、テニアン、ロタの友軍基地に着陸する。 第二艦隊はサイパンに接近し所在の敵艦隊を撃破。その後第五艦隊をサイパンに突入させ、その支援の下、陸軍1個連隊を上陸させ米上陸部隊を駆逐する 輸送船団をサイパンに入泊させ防御を固める[2] しかし陸軍側にそのような余力がなく、連合艦隊も実施が困難と難色を示し計画は頓挫、6月24日サイパン島の奪回作戦は中止となり、同島は見捨てられた[3]。
|
- 【横浜】NO.1【手コキ】Part28 [無断転載禁止]©bbspink.com
945 :名無しさん@ピンキー[]:2017/03/28(火) 06:01:08.18 ID:sPfmPQvV0 - 陸軍1個師団を載せた輸送船団(8万総トン)と北方方面を担当する第五艦隊に乗船した陸軍1個連隊をサイパン島に向かわせる
第一機動艦隊の残存空母瑞鶴、瑞鳳、龍鳳、隼鷹、千歳、千代田に練習航空隊や陸軍の戦闘機を中心とした約200機を搭載し、第二艦隊と共に出撃させる。艦載機は発艦のみとする。 第一機動部隊の約200機、硫黄島の八幡空襲部隊を中心とする約100機、ヤップ島の約50機、計350機をもってサイパンを攻撃し制空権を奪還、帰路は周辺のグアム、テニアン、ロタの友軍基地に着陸する。 第二艦隊はサイパンに接近し所在の敵艦隊を撃破。その後第五艦隊をサイパンに突入させ、その支援の下、陸軍1個連隊を上陸させ米上陸部隊を駆逐する 輸送船団をサイパンに入泊させ防御を固める[2] しかし陸軍側にそのような余力がなく、連合艦隊も実施が困難と難色を示し計画は頓挫、6月24日サイパン島の奪回作戦は中止となり、同島は見捨てられた[3]。
|