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744 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 07:27:25.51 ID:FlkV4vtJ0 - 金萬重は、粛宗(スクチョン:??)が中殿であった仁顕王后(イニョンワンフ:????)を廃位させて張禧嬪(ヒビンチャン氏:????)を王妃に迎えることに反対。
そのため、南海島(ナメド:???)に流刑となった。 配所でも王の心を改心させようとし、この作品を書いたとされる。 1689年(粛宗15)から作者が亡くなった1692年(粛宗18)の間に書かれたとみられる。
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745 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 07:29:38.68 ID:FlkV4vtJ0 - 作者は韓国文学は当然ハングルで書かれるべきと主張、漢文小説を排しこの作品を創作した。
(漢文・ハングル・交ぜ書きバージョンの異本がある) これについては、生六臣のひとりに挙げられ、朝鮮初の小説とされる「金鰲新話」を著した金時習(キムシプス:???:1435-1493)、洪 吉童伝(ホンギルドンジョン:????)を著した許?(ホ・ギュン:??:1569-1618)に続いて、小説文学に画期的な転機をつくったとされる。 すなわち、小説をさげすんだ当時の風潮に一石を投じ、以後の古代小説の黄金時代をつくった。 事実、士大夫からの評価も高かった。
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746 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 07:33:24.74 ID:FlkV4vtJ0 - 中国明国の時代、劉Rの息子延寿は15才で科挙に主席で合格し翰林(ハンリム)学士となる。
劉翰林(ユハンリム)はその後、淑徳と才学を兼ね備えた謝氏(サシ)と婚姻した。 けれども、9年が過ぎても子が生まれず、喬氏を後室として迎える。 しかし奸悪で猜忌心が強い喬氏(キョシ)は、奸計で謝氏夫人を謀略して彼女を追い出し、自らが正妻となる。。
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747 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 07:37:12.76 ID:FlkV4vtJ0 - その後、喬氏は姦夫と密通して夫の劉翰林(ユハンリム)を謀略にかけ、流刑に処されるように仕向け、財産を持って姦夫と逃げたが、財産を全て盗まれ窮地に陥る。
一方、劉翰林(ユハンリム)は疑惑が解けて配所から解放された謝氏夫人を探しだし復縁し、喬氏と姦夫を捉えて処刑する。 すなわち、作中人物中の 謝氏夫人は仁顕王后(イニョンワンフ:????)を 劉翰林(ユハンリム)は粛宗を 妖妾喬氏は張禧嬪(ヒビンチャン氏:????)を
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748 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 07:39:15.30 ID:FlkV4vtJ0 - 各々に対応させたことで、官女がこの作品を粛宗に読むようにしむけ、悔悟させることにより仁顕王后(イニョンワンフ:????)を復位させたというエピソードが伝えられている。
筆写本の他に子孫の金春沢が漢文で翻訳したものがあって、1914年永豊書館版と17年博文書館版の活版本があり、1955年金敏洙が校註を付けて現代語訳として紹介した。
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749 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:00:02.34 ID:FlkV4vtJ0 - 士農工商とは武士を頂点とした江戸時代のヒエラルキーですが、この概念を理論化・体系化したのが孔子の儒教です。
日本では「士」は「武士」に置き換えられましたが、本来は支配層の意。 ですから、朝鮮王朝では「士」とは「儒者」を指します。 ちなみに韓国語ではサノンコンサ(????)と読みます。 朝鮮王朝の法典「經國大典(キョングクテジョン:????)では良賤制(ヤンチョンジェ:???)として2つの身分しか規定されていません。良人(ヤンイン:??)と賎人(チョンイン: ??)です。 けれども、一般的には両班・中人・常人・賎人の4つに大別されています。 それでは個別に見ていきましょう。
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750 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:02:09.95 ID:FlkV4vtJ0 - 両班(ヤンバン:??)
支配階級である両班とは文班(ムンバン:??)と武班(ムバン:??)の両方をあわせた総称です。 支配の根幹を儒教としたため、武より文を重んじました。 旧王朝の高麗から朝鮮になる段階で、必然的に旧貴族から開国功臣へと支配層が移りました。 また、代替することが難しい官僚機構は高麗からシフトされていきました。 これらが世代を経ることにより、両班としての階層を形成することとなりました。 ごく初期を除き科挙(クァゴ:??)による官吏登用が身分確定の重要な要素となりました。 けれども、科挙に受かった本人だけではなく、その家族もまた両班階級となりました。 一応の定義は、父、祖父、曽祖父、母方の祖父の中で科挙の合格者で5品以上の官職についたものがいれば、両班となります
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751 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:04:12.04 ID:FlkV4vtJ0 - 中人(チュンイン:??)
医員(ウィウォン:??)や通訳官(トンヤクグァン:???)のような専門職。 その性格から世襲されることがほとんどでした。 科挙のうち雑科を受けることで官吏となります。 父が両班でも母の身分が低い庶子、庶?(ソオル:??)は文科への道が閉ざされていたため、雑科を受けるものが多かったようです。
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753 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:29:59.21 ID:FlkV4vtJ0 - 常人(サンイン:??) 常民(サンミン:??)とも
人口が最も多く主に農業に従事しています。 また、商工業を営んでいるものも常人です。 納税義務や軍役義務があるため、科挙の受験が可能なものの、時間的・金銭的余裕もなく、仮に受かったとしても登用差別があったため、受けるものはほとんどいなかった。
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754 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:32:02.02 ID:FlkV4vtJ0 - 賎人(チョンイン:??) 賎民(チョンミン:??)とも
第4代世宗の時代、領議政を務めた黄喜(ファンフィ:??)が七般賤人(チルバンチョンイン:????)を定めました。 1.官庁の使用人である?隷(チョレ:??) 2.罪人の処刑人である羅将(ナジャン:??) 3.地方官庁の門番などを勤めた軍奴、日守(イルス:??) 4.舟のこぎ手である漕軍(チョグン:??) 5.水軍に属する兵卒、水軍(スグン:??) 6.のろしを上げる役をになった烽軍(ポグン:??) 7.30里ごとに置かれていた駅の従事者、驛(ヨク:?)
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755 :ID:m/faaMmE0[sage]:2011/08/03(水) 08:34:04.31 ID:FlkV4vtJ0 - その他にも下記が該当します。
官庁や両班の使用人、奴婢(ノビ:??) 酒の席で、歌や踊りや風流に興をそそることを職業とする女性、妓生(キーセン:??) 輿の担ぎ手(サンヨグン:???) 唐風の革靴を作る鞋匠(ヘジャン:??) 楽師や廣大をあらわす伶人(ヨンイン:??) ※廣大(クァンデ:??)仮面劇や綱渡りをしていた芸人
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