- ■■■フルトヴェングラー33■■■
848 :名無しの笛の踊り[sage]:2021/10/28(木) 05:11:26.56 ID:d3WDPz9a - >>841
バレてた。 荻昌弘が1968年の著書で以下のように述べている。 「フルトヴェングラーによるベートーヴェンの『第九交響曲』のレコード(エンジェル)は、 総練習の実況録音、といわれるもので、聴衆の咳なども入っている」 もっとも演奏そのものは大変評価していて 「この(バイロイトの)演奏の入神的な白熱感は、 今日でも、私たちがレコードで所有できる最高至純の『第九』を思わせる」 とも記している。ライヴであること自体はどうでもいいのだ。 どういう伝手で総練習の実況という情報を得たかは今では分からないが 「LP再生装置はフルトヴェングラーとレコードで会話する媒体」 とまで言った人なので、それなりの情報ソースがあってのことだと思う。
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849 :名無しの笛の踊り[sage]:2021/10/28(木) 05:55:18.27 ID:d3WDPz9a - 尤もライヴのフルヴェンがレコードとして認知されたのは
「ウラニアのエロイカ」が最初で、これは巨匠の意志で発禁処置が取られた。 後に無観客でのテープ録音で、編集なしの通し演奏だったとか エキセトリックなのはテープ速度を上げたからだとか色々と問題が明らかにされた。 この通し演奏の必要性は、シューマン4番の際に言及されている。 当時の放送テープを元にしたデータには錯誤が多くあり 1961年にリリースされた復帰演奏会の運命などは 実際には初日ではなく3日目、ティタニアパラストではなくフンクハウスという感じで ライヴで必要とされるデータの確定があやふやな状態が目立つ。 編集なしのライヴが出たのは、1959年に仏独EMIから出たブラームス3&4で この演奏とスタジオ録音の1&2とが長らく併存し、ライヴは穴埋めという立場だった。 2番のライヴはEMI独自のリソースで全集を叶えたいという形で1968年にリリース 1番のライヴ録音でのリサーチは1980年代まで続いてVPO、北ドイツ響で決着。
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851 :名無しの笛の踊り[sage]:2021/10/28(木) 06:17:12.91 ID:d3WDPz9a - 一方で1970〜90年代のフルヴェン発掘音源のラッシュは
EMI傘下のユニコーンより多く出されたが音質が著しく悪い メロディアの戦中録音は、板起こし海賊盤も乱発し混乱を極めた。 E.クライバーのベト2、戦中の新世界など、全くのデタラメも混在し 古い演奏ならフルヴェンらしいと思わせるニュアンスのあることも発覚。 そもそも一人の指揮者のカリスマがこれだけ話題になるということを 生前の誰が想像できただろうか? レッグでさえも読めていなかった。 つまりクラシック音楽のアーカイヴ(1曲1枚)という枠を遥かに超えて 人々を夢中にさせる要因があるのだが、そこが実に曖昧なままだ。
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852 :名無しの笛の踊り[sage]:2021/10/28(木) 06:52:08.10 ID:d3WDPz9a - 21世紀に入って放送音源のオリジナルテープが公開され
ユニコーン音源とは全く別物の鮮明な音で、評価がひっくり返った。 AM放送なみでSP録音より悪い音質が、一気にFM実況に押し上げられた。 つまりライヴ=スタジオ録音の補欠という、レコード会社内での序列が覆り フルヴェンの実像に迫れるアイテムへと変貌した。 それまで放送音源には2重の意味での封印があって ひとつはフルトヴェングラーとEMIとのアーティスト契約があり 逆に放送局のほうもおいそれとオリジナルテープを手放さなかった。 その半世紀の年月の長さと、歴史に対する責任の重さを痛感する。 尤もこうした放送アーカイヴの整理は 旧ソ連が接収した戦中録音の返還がまず最初にあり 戦争前後で分裂していたフルヴェンの芸風が徐々に変化する過程も 良好な音質で観賞できるようになった。 これは録音方式の差が大きいスタジオ録音で時系列に並べるよりも ずっと親近感のある演奏スタイルの変化であることも判る。
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