- 葬送行進曲とレクイエム
107 :50[sage]:2019/02/12(火) 10:11:34.88 ID:0RgCohat - >>100 は、ここでは評判が悪いようだね(笑)
ここの人は、どの個所にしても抽象的な意味を求める。 だから『主要動機のリズム形=死』というただそれだけの 単純なことは認めたがらないんだろうね。 で「意味を説明せよ」ってくるんだ。 純粋な標題音楽的意味なんて何もないのにね(笑) ブルックナーの説明は、これを「標題音楽として捉えよ」 と言っているのではなく、音楽のある部分を何か 具体的な事象に譬えているだけだ。 『皇帝たちの会見』の部分などでは、ブルックナーは、 より丁寧に楽器群個々の音形について述べているが、 他のいくつかの個所では、そのようには丁寧に説明 していないだけだ。 『弦はコサック兵の騎行を』というのも、もし誰かが 言ったとしたら、いろいろケチが付くだろう。実際のところ それは主要動機の最初のリズム「タター」の繰り返し に過ぎないのだから・・・
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108 :50[sage]:2019/02/12(火) 10:12:55.34 ID:0RgCohat - それで、『フェルクレールンク』。
私はキリスト教徒でもないし、そういった言葉には全く 無関心だが、ブルックナーは熱心なカトリックであった。 だから、その意味を熟知していて、音楽の流れの中で の変化をそういったものに譬えたのだろう。 主要動機のリズムは、全くベートーヴェンの《第9》の 主要動機の引き写しである。ただ、それは調的に不安定で 陰鬱なメロディーである。変ロ短調で読めば、 ♪ミファーーーーミドーーシレー♭レドシ そこには、半音、短音程ばかりが存在する。 これが、最後の場面では、 ♪ドーーーーソミーードソーミレド と光り輝くハ長調の主和音の分散和音に『変容』 しているというわけである。 他の3つの楽章の主題も全てそのような音楽的操作 を受けているのを『フェルクレールンク』と 表現したというわけである。 もちろん、これは『ミヒェルが転回する』とか 『コサック兵の騎行』のようにブルックナーが直接述べた ものではない単なる一説だが、解説の流れから言うと そのような理解が一番妥当だというのが私の考えである。
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110 :50[sage]:2019/02/12(火) 19:03:02.12 ID:0RgCohat - ブルックナーの伝記を丹念に読むと、彼の思考の
傾向を述べた記述に遭遇することがあります。 それは、ヴァインガルトナーへの手紙を解釈する上でも 役立つかもしれません。 次もその1つ: 「授業がはじまると、彼は黒板に音符を記し、『神はまずアダムを作りたもうた』 といって、その音符を五度にし、『それから神はアダムのためにイヴを作って やったーそしてこの2人は一人ぽっちでなくてええようになった』 ーそういって今度は三度をそれに書き加えた。』・・・・」 『ブルックナー、聖なる野人』ヴォルフ著、音友社1989年
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