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576 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 01:51:56.90 ID:VQWZf0M7 - キリル・コンドラシン&NDR マーラー交響曲第1番ニ長調《巨人》
1981年3月7日のEMIのライヴ録音を久々聴いている。 これはキリル・コンドラシン ラスト・レコーディング。最重要録音。必聴。 この日誌を初期からみて霊能者になっている人はそう簡単に死なない。 何もみていなかった人はどうなっているか聞こえる。 私もスターにしてもらっていたらあるキャスターやロックスターやチェリスト などみたいになったと思う。
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577 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 02:11:57.44 ID:VQWZf0M7 - Amazonと塔とHMVを調べたら無いらしい。一度みてほしい。私は塔の廃盤を本当に
所持している。今、第4楽章。
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578 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 02:22:39.75 ID:VQWZf0M7 - 本当に京都にいてほされて助かった。助けてくれた。下手に東京や中国地方に行っていたらすぐに死んでいた可能性がある。本当に新島先生の霊がクラシックでも聴いときと言って指示通りにしたらなぜか長生きした。
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579 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 02:38:46.02 ID:VQWZf0M7 - 本当に新入社員のとき大量に離脱者が出た。これはいろいろあるらしい。
私が結婚できなかった原因も作ってくれたらしいが感謝している。 私は残って鬼の営業や仕事をした。本当に土下座したこともあった。 やっぱり収監されるなど艱難辛苦にあわないと大成しない。 本当に今日も霊の技を受けていたが寝ただけで回復した。本当に死なない。 ○田 ○○でも収監されて艱難辛苦にあっている。行不退は本当。 本当に進化すると元には戻らない。
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580 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 02:45:13.07 ID:VQWZf0M7 - やっぱり福翁の墓参りはして正解だった。墓をふいて掃除までした。そしたら福翁の
霊が来たらしい。これは新島 襄に任すべきだと思ったらしい。
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581 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 02:56:31.40 ID:VQWZf0M7 - 鬼吉川とか赤鬼とか一兵卒でも馬鹿にしたら結構怖いと思う。城塞で司馬 遼太郎が
赤鬼の一兵卒で徳川 家康がみて感動した記述がある。本当に人によって修行レベル が違う。本当に差があるのを認識してほしい。
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582 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 03:05:28.93 ID:VQWZf0M7 - とにかく昔なかったものが大量に出て女性も社会進出して誰が偉いかよくわからない。誰が出世するかよくわからない。しかし、天皇の生まれ変わりについては
それなりにすべきではないか。
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583 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 03:14:21.45 ID:VQWZf0M7 - 本当に夢である近代的な施設に入って酒井阿闍梨様みたいな僧侶が出てきて
「ばばあが好きや」とかわめいていろいろあって目が覚めたのも忘れられない。 あの世も昔はこんな施設は無かったと思う。
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584 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 03:32:06.90 ID:VQWZf0M7 - 私は豊臣 秀吉については親近感がある。本当に「さる」と呼ばれてさげずまれて
死んだらよいと思われていなかったか。それで、強くなって天下をとっていないか。 凄い苦労だったと思う。
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585 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 05:03:51.97 ID:VQWZf0M7 - 現代視点 豊臣 秀吉 戦国・幕末の群像 旺文社
敏なる男、華麗なる成功者 豊臣 秀吉 放浪 戦国乱世に終止符を打った華麗なる成功者豊臣 秀吉。この男が流浪の 少年時代に見たものは、生きた人間の蠢く姿であり、学びとったものは、人情 学であった。それは、無一物の秀吉にとって貴重な財産であった。 奮闘 尾張那古屋城主・織田信長との出会いが秀吉の運命を変えた。秀吉の 希代の演出力と才覚は、徹底的に実力主義・合理主義を貫く織田軍団の中でも ひときわ光芒を放ち、信長の抜擢によく応えたのであった。
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586 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 05:15:15.15 ID:VQWZf0M7 - 天下 天下布武を目前にして信長は本能寺に斃れた。秀吉の天下取りの決断と行動
は素早かった。中国路を駆け上り謀叛人明智光秀を討伐。ついで、ライバル 柴田勝家を倒し天下を手中にした。信長横死後、一年足らずのことであった。 攻略 勝家との後継者争いに勝利したものの、秀吉の前には難敵徳川家康がいた。 しかし、秀吉は得意の政治工作により、家康と講和した。天下統一の仕上げの 時である。秀吉は紀州・四国・九州・関東へと大軍を進めた。 これについては弁護士払ってくれ。なんぼでも金はあるらしい。
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587 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 05:26:20.63 ID:VQWZf0M7 - 野望 アジアの覇者たらんと欲した太閤秀吉は、海外遠征の企図を実行に移した。
暴挙朝鮮出兵である。が、この計画は無残な結果に終わった。秀吉自身のみならず、 豊臣家の命運をも縮めることになったのである。 絢爛 秀吉の時代それはまさにゴールドラッシュの時代であった。秀吉は豪快に 金銀を振る舞った。人々は無尽蔵とも思える秀吉の黄金を目の当たりにして、 彼の富と権力の大きさを再確認し、秀吉の前にひれ伏すのであった。 私は太閤の御土居の近くに住んでいる。五奉行の前田 玄以の玄以通りの近くに 住んでいる。
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588 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 05:34:54.04 ID:VQWZf0M7 - 木食応其(一五三六〜一六〇八)根来、雑賀をまたたく間に平定した秀吉の矛先は、
ついに背後の高野山に向けられた。この高野山の危急存亡を救ったのが木食応其である―彼は客僧の身でよく奔走 和議を整えた功績により、以後 高野山の指導権を 掌中に収めたのであった。 豊国神社と三十三間堂(後白河法皇の生まれ変わりが吉川 元春)はすぐ近くで あることを知ってほしい。
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589 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 05:51:30.63 ID:VQWZf0M7 - 現代視点 徳川 家康 戦国・幕末の群像
いそがぬ男、不屈の天下人 徳川 家康 松平 海道一の弓取りにして、ゆるぎなき泰平の世の礎を築いた男、徳川 家康。 「攻め」にも「守り」にも強い、この日本史上稀なる万能政治家は、大国に 翻弄される小国・三河松平氏の当主として苦難のスタートを切った。 挑戦 たとえ勝味の薄い相手でも、戦わねばならぬときがある。そこで逃げるか 逃げないかで男の値打ちが決まる。家康は逃げなかった。最強の男信玄、天下人 秀吉に果敢に戦いを挑んだとき、この男は確実に大きくなった。
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590 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:00:34.28 ID:VQWZf0M7 - 乾坤 関ヶ原―是が非でも勝たねばならぬ勝負であった。勝てば天下を手中にし、
負ければ命を失う。この、まさに乾坤一擲の戦いに、家康は、五十八歳の 円熟した知略と長年培った政略のありったけを動員し、勝利した。 成就 独裁体制は、公然たる反対勢力の存在を決した許さない。元和元年(一六 一五)家康は、大阪の陣に豊臣家を滅ぼし、遂に後顧の憂いを断つことに成功する。 ゛わがこと成れり″と雀躍する家康、この時、実に齡七十四。 実は私は関ヶ原合戦の日の九月十五日生まれ。
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591 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:02:28.86 ID:VQWZf0M7 - 乾坤 関ヶ原―是が非でも勝たねばならぬ勝負であった。勝てば天下を手中にし、
負ければ命を失う。この、まさに乾坤一擲の戦いに、家康は、五十八歳の 円熟した知略と長年培った政略のありったけを動員し、勝利した。 成就 独裁体制は、公然たる反対勢力の存在を決して許さない。元和元年(一六 一五)家康は、大阪の陣に豊臣家を滅ぼし、遂に後顧の憂いを断つことに成功する。 ゛わがこと成れり″と雀躍する家康、この時、実に齡七十四。 実は私は関ヶ原合戦の日の九月十五日生まれ。
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592 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:15:34.80 ID:VQWZf0M7 - 自適 大阪の陣ののち、なお一年を家康は生きる。苦闘の果ての、わずか一年の
余生。だがそれは、壮図半ばで憤死した信長、未練を残して逝った秀吉とちがって、 なすべきことを総てなしたあとの、悠々自適の日々であった。 幻花 幻の花がいま、甦った。昭和五十八年一月、家康着用の美しい小袖が、四〇〇 年の時を経て、新発見された。文様は、幻の染めと呼ばれている。゛辻ヶ花染め″であり、衿には家康その人の首の脂の痕跡まで残っている。 風貌 絵でみる信長の顔は鋭く、とぎすまされており、秀吉はいかにも゛猿″との 渾名をうなずかせる。家康はちがう。年齢と状況に応じて、ある時は柔和に、 ある時は厳しく、ある時は自信に満ちている。どれも家康の顔だ。
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593 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:29:57.88 ID:VQWZf0M7 - 現代視点 織田 信長 戦国・幕末の群像 旺文社
とらわれぬ男、峻烈なる天下人 織田信長 布武 桶狭間から姉川へ至るわずか十年(一五六〇〜一五七〇)の間に、 一地方大名の信長は堂々たる大大名にのしあがる。尾張から美濃、上洛を 経て北陸平定へと、信長は満々たる自信で天下に武を布いてゆくのである。 革命 天正三年(一五七五)五月、日本史にひとつの゛革命″がおきた。 長篠合戦での信長の圧倒的勝利は、戦さのスタイルを以前と以後に切断した ゛革命″であり、同時に、旧時代に対する新時代の勝利宣言でもあった。
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594 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:39:01.09 ID:VQWZf0M7 - 天守 信長の生涯は鮮烈な゙象徴″に満ちている。幸若舞、桶狭間、鉄砲―。
しかし、自らを絶対の高位に置き、神となることさえ望んだ彼の志向を、 最も大規模に具現化したものこそ城であり、その中心の天守であった。 殺戮 信長は、敵を憎み、これを滅ぼすことにおいて、まさに徹底的であった。 この日本史上最大の殺戮者は、日本的な情や哀惜などといったものを頭から 問題にせず、殺すか殺されるかの戦国の原則を貫き通したのだ。 ここについては凄いことが書かれている。抜粋しない。
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595 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 06:50:10.21 ID:VQWZf0M7 - 多彩 時代を無理やり転換させた男信長は、優れた武将であり、鋭い政治家で
ある一方で、南蛮を理解し、合理を求め、茶道に惹かれる文化人・知識人でも あった。その多彩さは、まさに゛信長的世界″とでもいう他はない。 夢幻 天正十年(一五八二)六月、日本史上に屹立する武人政治家・織田 信長は 本能寺の変に斃れる。疾走の果てのあっけない死であった。享年四十九歳。 愛誦した謡「敦盛」の「人間五十年」に一年満たなかった。
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596 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 07:04:17.59 ID:VQWZf0M7 - 現代視点 坂本 龍馬 戦国・幕末の群像 旺文社
海の男、くもらぬ男 坂本 龍馬 土佐 近代日本のトータル・プランナーとして、また日本資本主義の黎明を 生きたエコノミストとして、幕末動乱期を駆けぬけた一代の快男児・坂本 龍馬を 育んだのは、青く、はてしなく広い土佐(高知)の海であった。 江戸 嘉永六年(一八五三)十九歳の若き〈剣客〉志望者・龍馬は、初めて江戸の地を踏んだ。黒船来航で世界騒然たる時代、新しい世界に目を瞠りながら、幕末の ヒーローは、ここで青春開花の季節を迎えるのである。
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597 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 07:13:43.30 ID:VQWZf0M7 - 神戸 神戸生田海軍塾頭として勝海舟を助け、近代海軍の礎づくりに熱中した
港町・神戸。龍馬は確実に、夢の実現に向けた一歩を踏み出す。短いが、 それゆえに純粋に燃焼する時期として、生涯にエポックを画した町だ。 長崎 慶応元年(一八六五)閏五月。日本最初の商社・亀山社中は、ここ 長崎に結成される。この「西洋」に最も近い港町を拠点に、エコノミスト 政治家・龍馬は、その生涯における最も華々しい活動を開始するのである。
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598 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 07:25:10.66 ID:VQWZf0M7 - 下関 上洛 西下を繰り返した龍馬は、生涯幾度となくこの地を踏んだ。
ここで龍馬は、高杉・桂と会い、薩長同盟の周旋を行い、長幕戦争に参加する。 幕末の歴史はこの町で、つねにドラマチックな展開をとげるのである。 京都 動乱の幕末の彼方に新しい日本を、誰よりも明確にイメージしえた男、 坂本龍馬。彼は、彼が最も必要とされる時を目前に、この地で突然死んだ。 短いが彗星の如き光芒を放つ生涯、まさしく駆けぬけた三十三年であった。 下関で総理の講演会がありニュースになっていた。下関は総理の選挙区。 京都の近江屋の前の写真にはいつも挨拶している。塔に行くとき必ず横を通る。
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599 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 07:39:24.36 ID:VQWZf0M7 - 現代視点 勝海舟 戦国・幕末の群像 旺文社
囚われてしまうと、人は三百六十度を見ることができない。 右を向けばいい。左を向けばいい。振り返ればいい。カーブの水平線を、 海からの大地を見た。ニッポンがみえた。明日がみえた。 いちずな男、時代の洞察者 勝 海舟 子鷹 男の父は無役の御家人だった。その男海舟は、父からその恵まれない地位と 鷹のような激しい気性を受け継いだ。決まった職務のない日々を、剣と禅と蘭学に 打ち込んだ。来たるべき日に備えて、鷹は爪を研いでいたのである。
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600 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 07:49:45.61 ID:VQWZf0M7 - 飛翔 安政二年(一八五五)海舟は、長崎海軍伝習所行きを命ぜられる。十余年
学んできた蘭学によって、海舟はようやく人の知るところとなったのである。 時に三十三歳。遅いともいえるが、海舟は世界へ大きく羽を広げていった。 渡海 安政七年(一八六〇)、海舟の乗る咸臨丸は太平洋の荒波を越えた。 その末に海舟が見たものはなんであったろう。先進国の現実であろうか。 世界に取り残された日本の姿であろうか。それとも新しい日本の幻影であった ろうか。
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601 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 08:00:10.42 ID:VQWZf0M7 - 興国 帰国した海舟は、やがて軍艦奉行並という役職に就き、海軍建設に乗り出す。
海舟は「海軍興起は護国の大急務、後世の基本なるべし」と諸方に説いて回った。 そして、海軍操練所建設が決定、海舟の望みは実現されるが……。 交渉 慶応四年(一八六八)、江戸城は開いた。この実現にあたって、海舟は、 将軍慶喜、町火消しや博徒 西郷隆盛 英国公使パークス、新政府軍参謀などと 次々に会っている。海舟はこれらの会見を通じて、新時代と相渉ったのである。
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602 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 08:05:33.69 ID:VQWZf0M7 - 調停 維新後 海舟が自らに課した役割は、旧幕府と朝廷・明治政府との間をとり
もつことであった。それは、海舟の奔走により、徳川慶喜が明治天皇に拝謁を 許されて大団円を迎える。翌年、海舟は眠るように世を去った。
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603 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 22:28:02.18 ID:VQWZf0M7 - 夕刊3誌眺めた。池上 彰氏の本を眺めた。世界の独裁者が封殺した人数をみた。
何とも言えなかった。総理の下関講演会の記事は熟読した。72年の星陵VS○井(山口)は 知った。○経新聞の履歴書でもあったが、さすがにここは地名らしい。○部大富豪は凄い。 長浜観音の上野の西郷さんのことや徳川 慶喜の孫の本のことなど印象に残った。
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604 :セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o []:2018/08/13(月) 22:41:44.21 ID:VQWZf0M7 - >>603 取引先の神足○○町の○○産商を思い出した。SL山口号の記事もあった。
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