- レナード・バーンスタイン Part.5
537 :名無しの笛の踊り[sage]:2014/08/17(日) 22:17:49.17 ID:jS1tObqP - カラヤンはバーンスタインが羨ましかったらしい。作曲家として永遠に名前が残るから。
レニーは独特の粘っこい表現力が特徴 それで賛否が分かれる指揮者だ アメリカ音楽には向いてるが、ヨーロッパのとなると・・・・・・・。 65年にNYフィルとの悲愴が発売されたとき、ちょうど同じ頃にカラヤンの新盤と比較されて辛口批評を受けていた 1961年にNYフィルとともに初来日したときのスナップが懐かしい 小澤の肩を抱き、歌手のジェニー・トゥレルと一緒のバーンステインが若々しい レニーはCBS時代にNYフィルを振って録音して時期がいちばん活気があったよ VPOとは何か自分を抑えて思い切ったことをしていない不自然さが目立つ バーンステインを最も高く評価していたのが福永陽一郎 その熱意には驚きさえ覚えた 日本コロムビアが販売権を持っていた頃の売れ行き第1位はなんといっても バーンステイン、オーマンディ、ワルターの順だった あの青レーベルのLP盤が独特の雰囲気をもたらす バーンスティンはCBSコロムビアのホープだった ワルターは先が見えていたし、オーマンディは伴奏指揮者としか使えない アメリカ期待の有望な指揮者として世界に売り出すエースとして大々的に宣伝された レニーはミュージカル作曲家として売り出したが、クラシックにも精通してた アメリカの星だったことはいうまでもない アメリカが生んだ天才指揮者 バーンスティン 福永陽一郎などはぞっこんだった バーンスティンがロンドンレコードからVPOとの大地の歌でデビューしたときは衝撃的だった それまでCBS、NYフィルのイメージしかなかったからな 当時のレコ芸評価でも大絶賛された バーンスティンはNYフィルとのコンビだけでよかったんだ VPOとは肌が合わなかった レニーの良さはNYフィルとの録音で発揮されてた。 CBSから新譜が出てた頃のほうが魅力があった。 バーンステインが手兵のNYフィルを引き連れて初来日した1961年にその全プログラムを聞いた志鳥栄八郎は「まさに摩天楼のオーケストラ」と評した 小澤がNYフィルの副指揮者になれたのはレニーにケツを提供したおかげ これは誰もが知ってる有名な逸話 ばらの騎士は失敗作 バンスタの指揮したオペラはどれも評価が低い やはりミュージカルスタイルでの解釈が影響してるのだろう
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