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名無しの笛の踊り
【祝ラヴェル】アンドレ・クリュイタンス【SACD化】

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【祝ラヴェル】アンドレ・クリュイタンス【SACD化】
419 :名無しの笛の踊り[]:2013/12/23(月) 00:45:14.67 ID:Gx2earYD
本スレと無関係なのだけれど第9、過去に色んな演奏に夢中になりました。

最初はベーム(VSO)だったかな?だけど疑似STEREOだったんで次がカラヤン
(PO)そしたらこれも疑似STEREO、3つめでカラヤン(BPO、61年)で落ち着い
た。その後クリュイタンス、フルトヴェングラー(51)バイロイト--これも
疑似STEREO--更にミュンシュとワルター(STEREO)とシューリヒト(PCO)--
と続き、コンヴィチュニー、フリッチャイ、イッセルシュテットなんかの
にも惹かれたりした。

でもベーム(VPO、70)は好きにはなれなかった。ベームだったらVSO盤に代
わって1963年の来日STEREOライヴが自分にはピンと来た。シャキっとして
いて剛直。カラヤンのだって70年代、80年代両方受け入れられなかった。
クリュイタンスのも岡氏は薦めていても、いつの間にか個人的にも圏外扱
いになった。

そんな訳でカラヤンの61年盤とシューリヒトのPCO盤がずっとお気に入り
なのです。勿論演奏だけならフルトヴェングラーの51バイロイトのが凄い
のは良く解っているのですが−−。
【祝ラヴェル】アンドレ・クリュイタンス【SACD化】
423 :名無しの笛の踊り[]:2013/12/23(月) 14:04:25.75 ID:Gx2earYD
<幻想>の正規STEREO録音がPOなのは巡り合わせだと思います。1958年10月
22日にクレンペラーの代役で只1回だけPOとロンドンで演奏会やっていて、
その時の演目が同曲と<さすらう若人の歌><魔弾の射手序曲>みたいなんで
す。それで11月に<幻想>とあともう1枚、計2枚分の録音が実施されていま
す。もう1枚は変則的でロシア音楽3曲と<ラ・ヴァルス>みたい。

PCOの<幻想>は確かSTEREOだとEMIのシルヴェストリと他レーベルではアル
ヘンタとフーレスティエのがあったと思うんですが1960年にクリュイタン
スはPCOを降りているし、シルヴェストリはフランスでも活躍していたし、
それにORTFまでもがビーチャムでMONOとSTEREOで間髪入れずに2度も録音し
てしまっていたら今とは違って(クリュイタンスと雖も)割り込んでまで録
音させては貰えなかったと思います。何しろ1曲・1レーベル・1録音の時
代ですから。それに1958年4月までは仏EMIはMONO録音だし--だからPOでロ
ンドンでのSTEREO録音で寧ろ良かったと思うしかありません。

フランクの交響曲とビゼーの交響曲と<幻想>と<カルメン>の仏でのSTEREO
再録音が簡単に果たせなかった理由には常にビーチャムの壁がありそう。
【祝ラヴェル】アンドレ・クリュイタンス【SACD化】
424 :名無しの笛の踊り[]:2013/12/23(月) 16:12:40.94 ID:Gx2earYD
STEREO録音の開始時期はレーベルによって異なるのですが、EMI系は様々
で大体、英は(キングズウェイホール)1955年3月、独は(グリューネヴァルト)1957年5月、
ウィーンは1958年2月、仏は1958年5月からです。音が芳しくない感が否めな
いのは最初期の英録音に多いかと思うのですが、だけどSTEREOなので当
時としては寧ろ進んでいたと思うべきかと。

PCOと仮にクリュイタンスが色々と録音出来たとしても1958年4月までの
録音ではMONOでしか残らない。ほんの少しの違いで<モルダウ>他(1958
年1月録音)も展覧会の絵他(1958年4月録音)もライン他(1957年1月録音)
もジークフリート牧歌他(1958年4月録音)も可哀想にMONO収録。

カラヤン、クレンペラー、カンテルリ、ビーチャムはこの点反対で英で
のPOとかRPO録音が多かったのでSTEREOの恩恵絶大。
【祝ラヴェル】アンドレ・クリュイタンス【SACD化】
426 :名無しの笛の踊り[]:2013/12/23(月) 20:56:01.22 ID:Gx2earYD
カラヤンは1908年、クリュイタンスは1905年の生まれだから同世代。片や
独襖のホープで片や仏のホープ、2人とも流線型の音楽。仲も悪くはなか
ったみたい。クリュイタンス没後にカラヤンは仏音楽界入りした感あり。

カラヤンはEMIにPOと既にベートーヴェンを全曲録音(8番は恩恵に浴して
STEREO)、7番もVPOと(STEREO)録音していた。カラヤンがBPOに就任した
時、録音面でDGの屋台骨を支えていたのがフリッチャイ。

DGはまずフリッチャイ(BPO)で全曲録音完成を考えていたのでは?。不治
の病でそれが無理と解った直後にカラヤンで一気に録音完成した。EMIに
はカラヤンとBPOでベートーヴェンを再録音する意志はなかった感じ。

対してクリュイタンスは当時は人気絶超、カラヤンと同等に何処でも受け
入れられた過信、この指揮者がPCOを1960年に辞任したのはある意味でこ
の指揮者の野心の表れだったのかもしれないなぁ。


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