- モーリス・ラヴェル (Maurice Ravel) 9
375 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/12/04(水) 04:15:36.13 ID:T3VXZ179 - 「無駄な音」とは、大抵は作曲技法的なことや
音楽の密度のことから考えた場合に 音楽の構造上必要としない音を指す場合が多いのだと思います。 例えば、リストの曲の場合は、演奏効果を求めたものが多く、 それが無駄な音としてみなされるのかと…。 ただし、演奏効果上はそれらの音は絶対に必要なわけで、 これは音楽に対する価値観の違いにつながっていくと思います。 作曲技法から音楽を語る方が言語化した際の語彙も多いように見えるし、 語っている人も何だか賢そうに見えるし、音楽的価値もありそうに思えるし、 歴史的意義もありそうに思えるけれど、これが判断材料になるのは不純ですよね。 ただ、作曲技法の拡大だけでなく演奏技法の拡大も歴史的意義があることですが、 一度密度の濃い音楽に親しむことを知ってしまうと、それが薄い音楽は どんなに聴こえ方が派手でも物足りなく感じてしまう人も多いかもしれません。 しかし、密度が濃くなりすぎた音楽については 「聴く喜び」を感じられなくなる人もまた多くなるようにも(私には)思えますが…。 ドビュッシーとラヴェルは何かと比較されることが多いですが、 この二人は近似するところがありつつも才能の方向性がかなり違いますよね。 また、二人ともあまりにも才能があるので、 語り手が二人を比較する際にどんなに専門用語や知識を駆使しているようにみえても、 優劣というよりかは、実際は好き嫌いの類になるのだろうと思います。
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