- 【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part24
300 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/06/08(土) 11:37:52.34 ID:QLI4+Exd - そのあたりの歴史は結構面白い。
まず、バッハが生まれる少し前には三十年戦争があり、ザクセンは何とスエーデン領になっている。 その後、スエーデン王の戦死によってスエーデンは撤収するが、 今度は先代のザクセン選帝公アウグスト2世がポーランドを欲しがり、ポーランド王になるためにカトリックに改宗。 その後、息子である後のアウグスト3世もカトリックに改宗させる。 もともとプロテスタントだったザクセン領民はこれに反発。多数が離反してザクセンを去ったといわれ、 アウグスト2世の嫁さんはカトリックへの改宗を拒否して別居生活。 結局ザクセンは領民はプロテスタント、王だけがカトリックという異常な体制に。 アウグスト2世は首尾よくポーランド王位につくが、ポーランドの内紛を見越したスエーデンが侵攻。 ポーランド=ザクセン軍は簡単に敗北、首都ワルシャワを落され、スエーデンはクラクフまで到達。 そこにロシアが介入、スエーデンを撃破しポーランドはロシアの属国の地位に。 1733年、アウグスト2世が死去すると、今度はあとを継いだアウグスト3世がポーランド王位を要求し、ポーランド継承戦争が勃発。 完全に国力を喪失しているポーランド=ザクセンを尻目にロシアとフランス・スペインが代理戦争。 ポーランドから遠く離れた領土のやりとりなどもあって、アウグスト3世がポーランド王ということで収拾がついたのは1735年。 その直後の1740年、こんどはオーストリア継承戦争が勃発。アウグスト3世はザクセン軍を率いてオーストリア軍とともにプロイセン軍戦うが敗北。 バッハが死去したあと、1756年に七年戦争が勃発、ザクセンはプロイセンに占領され、アウグスト3世はポーランドに宮廷を移す。 こういう政治状況の中でのバッハのカトリックミサの献呈を考えると、単にプロテスタント、カトリックというだけではないかなりどろどろしたものが背景に透けて見えて来ておもしろい。 バッハが関係したアウグスト2世もアウグスト3世もこういう結構くそったれな野郎で、 ザクセン選帝公のためのカンタータを書いた1734年はポーランド継承戦争の真っ最中で、ザクセンはぼろぼろの状態。 だからこそあんな輝かしいカンタータが必要だった。
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