- ブルックナー 交響曲第6番イ長調
97 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/06/03(月) 10:54:57.60 ID:dHopLpW1 - <自筆譜ではいろんなパートの段に添えられている、という理解で良いのかな >
そのとおり。ブルックナーの自筆譜では珍しくない。 したがって、特段注目すべきことでもないように思う。 <全集版で最上段だけ「(sempre)」と単語丸ごとカッコ付きなのはそういうことか> まったくその通り! <最上段の「langsam」に対応する「accelerando sempre」の書込はないのかな> 360小節、フルートの上に 「semp langsam」と書かれている (6箇所のうちの1つとして)ので、なんとも言えない。 ただ、「langsam」単独の書き込みが、他とは異なる特別の指示であるとは見えない。 また、他の書き込みも個々に厳密に対応しているのではなく、楽譜全体から1つの 意思表示が醸し出されるといったイメージが当っているのではないか。 とにかく、自筆譜の現状から何かを引き出そうということは容易ではない。 この個所に関しては、印刷譜はほぼ自筆譜の意図どおりであると理解 すべきだろう。 <「accelerando」開始から木管は出番だけど、木管向けの指示は他の段に書いてある?> フルートの上、すなわち最上段、およびファゴットの上(たぶんホルンに 書く場所が無いから)の2か所のみ。
|
- ブルックナー 交響曲第6番イ長調
99 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/06/03(月) 23:24:35.80 ID:dHopLpW1 - >>90
<楽章を一通り仕上げた後で「急緩急緩急」とテンポを切り替えていくコンセプトを思いつき> 御承知のように、ブルックナーはスコアを仕上げるのに、まず音符を書き、 その後に表情や指示を書き加えるという作曲方法を採っていた。 だから、音符を書いた時点で作業を断念したスコアの断片がたくさん現存 しているというわけだ。 ということは、音符を書いていた時のテンポ構想と、実際に指示を記入する 時では考えが変わることがあっても不思議ではない。 それは、あたかも第1稿と第2稿という概念に近いものすら見えて来る。 さらに、1度指示を書きあげてから相当後に、それらを温存しながら、 指示を更に書き加えることがあったことも疑いのないところだ。 御指摘の状況がどちらのケースを意味するのかは不明だが、とにかく テンポ構想の推移を認めることには変わりはない。 学者や編集者は証拠主義一辺倒だから、現在存在するものしか信用しない。 しかし、そういった観点は無視できないと思う。 特にブルックナーにおいては! 資料に新たなものを加えることは論外だが、資料に記載された特定の書き込み を消し去ることは証拠主義の中でさえあり得ることだと思う。 それは、過去に激しく論じられた原典版論争の主眼点でもあるのだから。 ハースはそういった観点から《第七交響曲》を編集したように思う。 それなら、編集方針の統一性を保つために、ハースは《第七交響曲》 の方法で《第六交響曲》を編集出来たかも知れない。 残念ながら《第六交響曲》の方が先に出版され、その時はまだ想いが そこに至らなかったのだろう。そして《第七交響曲》が最後の編集に なったということだ。
|
- ブルックナー 交響曲第6番イ長調
100 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/06/03(月) 23:40:46.89 ID:dHopLpW1 - >>98
「semp」は日常茶飯にでて来る繰り言のようなもの。 ここら辺だけでも「a2 semp」、「cresc. semp」 あまり追求すべき様なものでもなさそう。 ただ、「accelerando semp」を書いた後に「langsam」に「semp」を追加 したという視点は考慮の余地があるかもしれない。
|