- クラシックギター総合スレPart70
661 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 14:42:27.17 ID:VuqShnMn - >>658
別スレからコピペ。 音そのものの良否の問題は、結局、個人の問題となる。 とはいっても、多くの人が良いと感じる音はあるわけだし、悪いと感じる音もある。 歴史や環境の問題が大きそうだ。 たとえばクラギ的な感じ方では、三味線の音は濁った汚い音だ。 三味線側からすれば、クラギの名器は衝撃のない、空虚な音ということになるかもしれない。 人間の聴覚は極めて鋭敏にできている。 言葉一つとっても、ものすごく細かな違いを違いとして聞き分けるし、一方で、音の高低などのものすごく大きな違いを、たとえば同じ単語として把握することができる。 ギターの音でも、聴きなれている人とそうではない人だと、聴いている音自体が違って聴こえているだろう。 必ずしも、奏者の力量の問題ではないと思う。
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666 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 16:47:16.48 ID:VuqShnMn - >>664
最近の研究は、錯視や錯聴とかいうことを、錯覚として捉えるのではなく、そう見えること、そう聴えること自体を、ひとつの現象として捉えることが基本になっている。 参考までに。
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668 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 18:58:10.79 ID:VuqShnMn - >>667
「本当」と「錯誤」ということ自体に、どういう幅があって、どこに境界があるのか、そしてどういう根拠があるのかが、研究の基本ということ。 これ以上はスレチだから終わりにするけど、メルロポンティからはじまった哲学、心理学の方向。 気が向いたら読んでみて。
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670 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 19:15:44.84 ID:VuqShnMn - >>669
これ以上は今の君が理解するのは無理かもしれない。 その例についてだけ触れておけば、その違って見えるときの境界があるということ。 付け足された線の長さや角度、錯視の原因とされる他の線との距離、そうしたもののあり方によって、同じに見えるか違って見えるかの差ができる。 つまり、見る人の錯誤、ということではなくて、ある幅の中で捉えることしかできないという、人間の機能の問題があるということ。 「錯視」ではなくて、それが人間の「目」ということ。 騙されるとかだ騙されないということじゃなくて、言ってみれば、人間というのは、どこまで微細な感覚を持てるのだろうか、ということにつながる。
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672 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 20:49:20.33 ID:VuqShnMn - >>671
事実が同じでも、人間はそれをどこまで微細に捉えられるか、ということ。 言葉の例も出してある。 海岸線の長さを測れるかどうかという問題みたいなもの。 こういう考え方は、テレビの心理学のお遊びが研究水準だと思ってる人には、無理だと思う。 錯視の問題と、「暗示」や「思いこみ」は無関係。 ちなみに、「アバタもエクボ」も「暗示」や「思いこみ」も、個人的な問題であると同時に、歴史と環境の問題までつなげて考えることができる。 つまり、個人的な好みと、社会的な好みの問題として。
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673 :名無しの笛の踊り[sage]:2013/05/15(水) 20:54:25.80 ID:VuqShnMn - >>671
ついつられて、スレチなこと書いちゃったけど、いくら書いても君が理解するのは無理だから、もうやめる。
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