- -++ヘルベルト・フォン・カラヤン++-Nr.39
657 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/12/14(金) 19:25:50.99 ID:Jct/5wR1 - >>656
それがまさしく、エリエッテ夫人の大のお気に入りでもあるそうですよ。
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681 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/12/14(金) 19:32:34.27 ID:Jct/5wR1 - クリーブランドは、1967年にカラヤンがザルツブルクで振って、プローベの時から
素晴らしさにうっとりしちゃったと、カラヤンが自著にも告白していたくらい。 そのあとの、自分のオケのベルリンとのプローベでは不機嫌だったという逸話もある。
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684 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/12/14(金) 22:51:01.59 ID:Jct/5wR1 - >>681の補足引用
それは,1959年から78年までの間,ベルリンフィルのインテンダントを 務めたヴォルフガング・シュトレーゼマンの「ベルリンフィルハーモニー 栄光の軌跡」で, 以下のような記述がされていました。 ・・・セルは,クリーヴランドのヨーロッパ巡業にあたってカラヤンにザルツブルクとルツェルンで 自分の楽団を振ってくれるよう依頼した。二人で打ち合わせたプログラムのメインはプロコフィエフの 交響曲第5番だったが,セルはこれを彼の客演指揮者のためにあらかじめ練習しておくことを約束した。 プログラム第1部はモーツァルトの3台のピアノのための協奏曲で,カラヤン自身が第3ピアノを受け持った。 はたして,セルの言葉に嘘はなかった。カラヤンがあとで語ったことには,すでにリハーサルを2度もすれば, オーケストラに注文をつけることがなくなってしまったという。ルツェルンでのコンサートの数日後,彼は私を 呼び寄せ,クリーヴランド管弦楽団の素晴らしさを,まさしくカラヤン流の雄弁さで熱っぽく語って聞かせるの だった。その直後,ベルリン・フィルはカラヤンの指揮下,エディンバラでコンサートを行ったのだったが, そのリハーサルのとき私はカラヤンが大変不機嫌なことに気づいた。ほとんど各小節ごと,各楽句ごとに前には 大目に見ていたことまで小言をいい,練習にたいへんな力の入れようなのだ。とうとう私はカラヤンに, その曲はこの楽団にとってまるで知らない作品でもないのに,それほど微に入り細をうがち手本を示しながら リハーサルをするのには,なにか特別な理由でもあるのか,とたずねた。 カラヤンいわく「ほら,このあいだ僕はあの素晴らしいクリーヴランドを振ったね。あれは,どこにもひけを とらないすごいアンサンブルだったよ。だから僕はいま,それでも世界最高のオーケストラを持っているんだ と自分自身に納得させたいんだ!」(166〜167頁) 「ベルリンフィルハーモニー 栄光の軌跡」 ヴォルフガング・シュトレーゼマン著,香川檀訳 音楽之友社 ISBN 4-276-21781-4 昭和59年11月30日初版
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685 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/12/14(金) 22:51:45.74 ID:Jct/5wR1 - 他、カラヤンの自著「プローベ」に於いてもクリーブランドOとの出会いが語られている。(以下引用)
第一回のプローベの日が来た。私(カラヤン)はオーケストラに紹介され、大喜びで作業を始めたが、常に似ず、 うっとりとした。というのも、目の前のこのオーケストラ(クリーブランドO)が、受け取る刺激の一つ一つを 想像力をこめて響きに表してゆく気構えでいることを、ものの1分もたたないうちに悟ったからである。 休憩になるとセルがすっかり上気してやって来て、自分はショックを受けたと言った。それは曲が始まってすぐの ことで、自分たちの解釈と正反対の違いがあるのに気づいたときだった。これはひどいことになるという危惧が 頭をかすめたが、オーケストラは瞬間の早業で姿勢を改め、新しい解釈を、今までずっとそうだったかのように 自然に表現したのには、心を奪われる思いがしたと言った。私自身はそういったことに何一つ気付いていなかった。 私はこのオーケストラとの出会いにまさに恍惚となっていたのだ、この演奏会は忘れられぬ思い出となるだろう。 「カラヤンの生涯」〜第七章 書かれなかった本からの二章「プローベ」 フランツ・エンドラー著,高辻知義訳 福武書店 ISBN 4-8288-1737-9 1994年3月10日初版 すぐれたオケの特質とは如何なるものかについて、なかなか示唆に富んでいるエピソードと思われる。
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686 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/12/14(金) 23:11:32.20 ID:Jct/5wR1 - かつて、カラヤンが語った、フィルハーモニア管弦楽団の特質。
「一般に、高い技術水準は、オーケストラの質にとって長所であるということになっている。 しかし、私たちはすぐさま、それが特殊な障害ともなることを感じた。例えば、一度、 コンサートマスターだったことのあるヴァイオリニストは、特殊な統率力が身に付いて しまっており、それを捨てることは最早出来ない。今さら三番目や四番目のプルトで、 同僚のリードに従って演奏することは、ほとんど不可能である。 技術的な完璧さは、フィルハーモニア・オーケストラはまったくの始めから持っていた。 他方、そこにはどうしても越えられない限界があった・・・その限界が、後にこの楽団 との別れを私にとって楽なものにしてくれたのだが。一度、ひとつの曲を 楽員と共に 稽古してしまえば、それがコンサートのときどんな風に響くかは、正確にわかっていた。 一度達成された水準が、何度でも演奏に表現されたのである。 しかし、楽員がコンサートのとき更に高揚することは期待してはならなかった。 そんな要求をしたら、彼らは理解に苦しんだろう。」
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