- サー・ゲオルク・ショルティ 7
331 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/22(月) 08:29:17.94 ID:Jb2MYOPb - その人の生き方や環境も関係ありそうですね。
指揮者が、精神性や魂を伝えるためには、それだけ時間をかけて 熟成したオーケストラと聴衆の存在が必要なのではなかろうか。 そしてそのために「一箇所にとどまる」ことも必要なのではなかろうか。 フルトヴェングラーにはそれがあったから、精神性や魂の演奏が できたとも考えられる。 ショルティみたいにユダヤ系だったり、カラヤンみたいに実業家だったり、 小澤みたいにクラシックの歴史の浅い外国人の指揮者が世界を相手に するには、まずは楽譜に忠実、テクニックでしょう。 共同体との共感に支えられた芸術というよりは、組織との契約に基づく芸術 という性格が余計に濃くなったのが、戦後のクラシック音楽界だと思う。 精神性とか魂といった要素は、民族や宗教と密接な関係がある。 その共同体の一員でなければ本来理解し難いものではないかと思う。 そして、そこで体験される崇高さや熱狂というのは、 他では得難いものなのかもしれない。 だが、それは悪く言えば共同幻想であり、さらに全体主義との共犯関係に 陥る危険性すらあるとの反省が、戦後にもたらされた。 フルトヴェングラー・精神性・魂にこだわるタイプのリスナーさんというのは、 芸術の失われた故郷(共同体)が自分の根っこにあり、それは再来するのだという 一種の信仰のようなものを持っておられるのではないか。 そういうタイプのリスナーさんにとっては、ビジネスやテクノロジーの力が優勢な 今日のアートを体現するかのような指揮者の演奏は、耐え難いのかもしれません。
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- サー・ゲオルク・ショルティ 7
333 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/22(月) 08:44:30.86 ID:Jb2MYOPb - >>325
そうですね。 ショルティにとっては、そのような演奏スタイルが、同時に彼の 生き方でもあり、おそらくそのような演奏スタイルと生き方でなければ、 彼は生き抜くことができなかったのではないかと思います。 激動の時代に、困難を切り抜け、生き抜くこと。 「生きるためのクラシック」とか何とか言っても、しょせん私たちは リスナーにすぎません。音楽を奪われても、失業するわけではない。 しかし、ショルティは本職:音楽家だったのですから、まさにその 演奏スタイルが、彼の身につけた生き方(生き抜き方)だったのだろう と思います。 そして今日それに共感するかどうかは、人それぞれだと思います。
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- サー・ゲオルク・ショルティ 7
334 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/22(月) 09:05:12.24 ID:Jb2MYOPb - >>332
仰る通り、私たちは日本人であり、ドイツ人やフランス人ではありませんから、 西洋のクラシック音楽における民族・宗教的な精神共同体を幻想するとき、 神道や仏教といった日本の伝統文化を、キリスト教やユダヤ教といった西洋の 伝統文化のオルタナティブとして考える人も中にはいるのではないかと思います。 演奏家で言えば、宇宿允人さんとか、そうだったのではないかと思うのですが。 宇宿さんを支持する聴衆は、彼の考えを支持していたのでしょう。 でも、私には、宇宿さんのやり方が、この問題の解決策になるとは思えません。 あまりよくない意味での「精神主義」になってしまうのではないでしょうか。
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- 【爆演】ワレリー・ゲルギエフ3【爪楊枝】
84 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/22(月) 17:55:17.40 ID:Jb2MYOPb - 楽団自主制作盤ってのに、まだ感覚が慣れていないというか、
ただそれだけの理由で手を出そうと思わない感じもする。 これまでずっと老舗のレーベルのブランドを信頼してきたんだなあ。
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- フルトヴェングラーのディスク音質比較スレ 12
562 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/22(月) 19:45:50.63 ID:Jb2MYOPb - そもそもマスターテープや盤起こしの原盤LPに、SACD化する必要が
あるほどの情報量があるのかどうかという素朴な疑問があります。
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