- -++ヘルベルト・フォン・カラヤン++-Nr.39
149 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/01(月) 19:16:14.26 ID:k8ilPPZL - >>142
協奏曲の場合、少なくとも晩年に近づくに従い解釈はカラヤン主導に傾いたのではないかな。 ムター、キーシンが「テンポをはじめとする解釈の絶対的主導権はカラヤンにあり、意見できるような立場ではなかった。」 と証言している。ポゴレリチとはチャイコのPコンの解釈を巡ってリハで衝突して共演が流れた。 ワイセンベルクがどういう立場だったのかはわからないけど、カラヤンと共演が成立したソリストは、解釈がたまたまカラヤンと 近かったか、多少違ってもカラヤン側に歩みよれる人に限られたんではないだろうか。 ベトのP協全集にしても、DGとしてはケンプとカラヤンでやりたかったのではないかと思うのだが、オケはBPOでも指揮はライトナーを使った。 ケンプとカラヤンは実演では1957年にザルツブルクで共演しているがこの時の相性が芳しくなかったのだろうか。 カラヤンもその後エッシェンバッハと全集録音を開始するも、第1番のみで終わってしまった。 両者はその後も共演があったり、指揮者としてのアドバイスを送るなどの関係が続いているから衝突ではなかったと思うのだが、頓挫の理由はわからずじまい。
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151 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/01(月) 19:37:39.35 ID:k8ilPPZL - エッシェンバッハとの全集はケンプとのガチンコを避けて、DG側が消極に回った可能性はあるかも。
LPが高価だった当時のレコード会社はカタログの重複を嫌ったらしいし。 フェラスとのバッハも、オイストラフとのガチンコを避けてリリースを見送った可能性が高い。
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158 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/10/01(月) 22:23:17.74 ID:k8ilPPZL - >>157
グルダはアバドとの共演に関してはモツの20・21番のときはとてもよかったが、25・27番のときは退屈してしまったらしい。 アーノンクールとの共演については最初よかったものの次第に彼の表現が極端に走っていると感じて共演を避けるようになったとのこと。 そして曰く、「退屈なアバド、極端なアーノンクール。どちらも才能のある演奏家なので足して2で割ることができればいいんですが…。」
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