- アルトゥール・ルービンシュタイン
33 :in the wind[]:2012/06/26(火) 11:46:12.94 ID:lVy363VJ -
先程気がついたのだけど、バラードの第3番って、変イ長調、なんですね。 僕は、ルービンシュタインの様子というか、様子を見ながら音を聞いていたら、 何となくバラードの第3番の冒頭のメロディが頭の中に浮かんだのだけど、で も、今気がついてみると、バラードの第3番って、変イ長調なんですね。 で、幻想ポロネーズも変イ長調。 もしかして、この3つ、って、繋がっていません、というか、関連ありませ ん。 また、第6番で、夜想曲が出てくる、そして第5番ではマズルカが出てくる。 また、ソナタの第3番では、夜曲が2つで、終曲が、あの、異様な、異様な、 異様なだけど、でも魅力的な、あの終曲。 第5番でマズルカが出てくるのは、ここでは、ある意味で、ある意味でだけ ど希望の世界を描いている、そして第6番で夜想曲が出てくるのは、ある意味 で、現実を見ながら悲しみが襲い始めている、そして、多分、幻想ポロネーズ は、第6番の双子で、コインの裏側だと思われる。 そして、ソナタの第3番は、夜曲2つを伴って、あの終曲が現れる。 もしかすると、夜想曲とマズルカは、コインの表と裏ではないのではないだろ うか。そういえば、ショパンの作品の中で、夜想曲とマズルカが最も多い、と 思ったのだけど。 ちょっと突然思ったことを書かせてもらいました。 ------ wrote in the wind at 11:36am, Tuesday June 26, 2012 ------ (copied here, 2012.6.26(tue) 11:44am MTT)
| - アルトゥール・ルービンシュタイン
34 :in the wind[]:2012/06/26(火) 13:59:49.59 ID:lVy363VJ -
突然ベートーヴェンに飛ぶけど、確か、スケルツォには 諧謔 という意味も あったと思う。で、ベートーヴェンは、臨終のとき、喜劇は終わった、拍手を、 と言ったらしいけど、これは、スケルツォの諧謔と関連があるように思う。 また、以前、ドイツには、次のような言い伝えというか考え方がある、とい う話を聞いたことがあるのだけど、で、正確には覚えていないのだけど、それ は、人生というのは、あの世とあの世の間に架けられた橋であり、人はみんな、 自分の役割の舞を踊りながらこの橋を渡り、そしてまたあの世へ返っていく、 というもの。 で、この考え方がいつの時代からあったのかは知らないけど、多分このような 考え方は、ベートーヴェンの時代にはもうあったように思うのだけど、で、そ れで、ベートーヴェンにとってのこの橋の上での舞はメヌエットではありえな かったのだと思う、もっと喜劇性の含んだものであると考えていたのだと思う。 また、一つ書くと、ただ、あの人が、テンポ・デ・メヌエットにしましょう、 と言ったときだけメヌエットであり得たのだと思う、また、そのまたもう一つ 書くと、彼が、あのような当時の不完全な機械であるメトロノームにこだわっ たのも、この辺に何か、テンポというのに何かこだわる理由があったのかもし れない。 で、ショパンは、このベートーヴェンの このスケルツォ を引き継いだのだ と思う。 で、彼にとって、ソナタの第3番には、夜想曲2つとスケルツォが必要だっ たのだと思う、ショパンにとって、あの終曲を登場させるには、どうしても、 夜想曲2つとスケルツォが必要だったのだと思う。 ------ wrote in the wind at 1:55pm, Tuesday June 26, 2012 ------ (copied here, 2012.6.26(tue) 1:56pm MTT)
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