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名無しの笛の踊り
【永遠の故郷】吉田秀和 6【名曲のたのしみ】

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【永遠の故郷】吉田秀和 6【名曲のたのしみ】
62 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/22(金) 00:36:20.04 ID:+eTqTaPV
>>60
問題はそこだね
印象批評というのは単なる感想文とは似て非なるものだが
わからない人間にはその違いは逆立ちしてもわからない
【永遠の故郷】吉田秀和 6【名曲のたのしみ】
72 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/22(金) 18:56:10.22 ID:+eTqTaPV
>>65
印象批評は批評家自身が対象をどう感じたかを突き詰めて考える批評
どう感じるかとは批評家の体験、知識、感性の総体が感応するということ
この中にはそのジャンルに関する歴史的、技法的な知識も含まれるし
そうとう分析的な解釈も施される(微に入った議論はひけらかさないだけ)
そして表現としては語彙、文体、リファレンスを意識的戦略的に選択する
【永遠の故郷】吉田秀和 6【名曲のたのしみ】
73 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/22(金) 18:57:34.25 ID:+eTqTaPV
たとえば
「言葉で説明できるなら、音楽はいらないわけだ」
という言述を「音楽は言葉で表現できない」という紋切り型の表現ととらえ
「だから評論もいらない」と短絡的に考え、表明してしまうのが
ただの感想文

このエピソードはどこが面白いのか、ケージは何に反応したのか
おそらくケージは吉田が自分の考えを代弁してくれたと思ったのだろう
でもケージにとっての音楽とはこれまでの音楽の概念とはだいぶ違ったもののはずだ
だから「言葉で説明できるなら、音楽はいらないわけだ」
という場合の音楽とは音楽一般に適用していいものだろうか
(そもそも吉田はこの言葉をドイツ語なり英語で何と言ったのか)
もしかするとケージのこの音楽は作曲技法の面でも
それを解説する語彙の面でも構想の仕方においても
従来とはまったく違うものであり、通常の意味での楽曲解説すら
成り立たないということを吉田が言い当てたのではないか
それだけだろうか、そういう意味でとっていいのだろうか
もっと何かあるかもしれないと納得するのをぎりぎりまで粘り
さてどういう書き方をすればこのエピソードの面白さを伝えられるか
いかに吉田とケージが笑った姿を彷彿とさせられるだろうか
という課題を自らに負わせるのが印象批評


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