- -++ヘルベルト・フォン・カラヤン++-Nr.37
911 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 02:13:54.89 ID:CDW4ASlg - 表現者というのは、多かれ少なかれ自己愛者であるが、
その自己愛的世界を表出して、他者に認められるかどうかが 単なる自慰やわがままと、アートとの違いです。 自己愛と想像力には密接な関係があります。想像力豊かである ということは、自己愛が強いということであるかもしれませんよね。 ですが、それをそのまま料理せずに生の状態で人前に出すことはできないのです。 豊かな想像力に潜む自己愛という毒が他者を害さないように、 想像力を巧みに料理して、自己愛の浄化された「作品」として成立させた上で 人前にお出しして、喜んでもらえるというのが、アーティストとしての 才能であると言えましょう。 アートとは公共的なものだと思います。ですがアートの契機は私的な内面世界です。 すなわち、私的な内面世界を公共化し、社会に流通させることのできる人が、 アーティストと呼ばれるに相応しい存在なのです。
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914 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 09:55:56.87 ID:CDW4ASlg - ちょっと言い足りなかったようですね。
アートが公共化するためには、アーティスト独力では不可能だと 思います。 コンサートでも美術展でも映画でも何でも、広報や運営など、 業界の人がたくさん動いています。 いくらカラヤンがビジネスの能力にも長けていたと言っても、 テクノロジーに関心があったと言っても、ひとりで経営から 開発から何からしていたわけではない。例えば録音においては 彼の信頼するエンジニアがいた。 ゴッホは何を考えて絵を描いていたのか。彼はひたすら自己に 向き合うことにおいて誠実であろうとし続けていただけなのかも しれません。その姿勢を評価し、買い、彼の作品を公共のもの としたのは、後世の批評家や画商や観衆ですね。
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- レナード・バーンスタイン Part.4
924 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 09:57:18.22 ID:CDW4ASlg - 確か同じだったような。
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915 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 09:57:36.34 ID:CDW4ASlg - 「映画というのは公共的なものだと思うんです」と宮崎駿は
語っていましたが、そういう認識を持つ彼の作品だって、 世に出るためには鈴木敏夫というプロデューサーの存在が あったればこそでした。 ですが、ある種の自己愛の世界でもあるアートを評価する人も、 支持する人も、それぞれに自己愛者であり、アーティストの 作品の中に自己を見出すことができているのだと思います。 だからそれを世に送り出したり、客として足を運ぼうとするのだと 思います。 着想された瞬間から世の中に普及するに至るまで、閉鎖的な、 不健全な自己愛の世界を、アートとその市場が形成しないように する必要があるのかもしれません。いくらお金が儲かっても、 作家の堕落とファンの堕落がシンクロするような世界は、いかがなものか。 でも、「健全なアート」なんて、おもしろくなさそうですよね。 少なくとも強制的に「健全」にすべきではないでしょう。 あとは倫理の問題だと思いますが、個人の内面から政治まで複雑に 絡み合うであろう問題だけに、難しいところです。
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- 【Mahler】マーラーの交響曲全集 Part5
23 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 15:42:22.68 ID:CDW4ASlg - バンスタの全集?
生涯聴き続けるのには、向かないのでは。濃すぎるからね。 10年に1回聴く程度でいいのかも。
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- 【Mahler】マーラーの交響曲全集 Part5
25 :名無しの笛の踊り[sage]:2012/06/16(土) 19:28:14.37 ID:CDW4ASlg - バンスタのマーラーを、神格化・絶対化すべきではないね。
フルトヴェングラーのベートーヴェンとか、ワルターのモーツァルトみたいな。
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