- 【疑問】小澤征爾がNewYearConcertに登場しない理由
343 :名無しの笛の踊り[]:2012/02/21(火) 06:39:10.71 ID:Ue5TPrZk - 「新潮45」の小澤問題(『小澤征爾』という虚妄」 2000年10、11月号)を見て
「なぜ、小澤がウィーン国立オペラの音楽監督に指名されたか」がまことにわかり易く解説されている。 今回の人事は、芸術云々とは関係ない完全なショービジネスの世界の話であるといっているのだ。 (もちろん小澤の芸術的能力が低いことは、重ねて語られているが。) コロンビアアーティスツという組織が、ウィーン国立オペラの収益改善のために利用しやすそうな 人事をしただけのことだというわけだ。どこかの会社のやることと同じことだ。 これでウィーン国立オペラに物好きな日本人が集まり、スポンサーが付き、 劇場やホテルや航空会社がもうかり、観光地に金が落ちればそれでいいと考えているのだ。 日本人の指揮者や聴衆がいくら来ようが逆に来るまいが、ウィーンの芸術の基盤は一向に 揺らぐことはないという確固たる裏づけがあっての企てだろう。 VPO(国立歌劇場O)にしても、指揮者なんて誰でもいいんだろう。鬼(あるいは神)のような コンマスがいれば、指揮台に誰が立っていようと、あるいは立っていまいと関係ないのだ。 そんなことでは微動だにしない彼らだけの伝統があるのだ。(ドレスデンの、某オケも同じらしい・・・) 決して芸術的全権をこの指揮者に預けたわけではない。ただのあやつり人形だ。小澤の芸術的、 音楽的才能や実績とは何の関係もないと言っているのだ。 小澤も可愛そうである。それに利用されただけで、最後は笑い者になって捨てられる運命にあるのだろう。 いま消えつつある準一流の指揮者のように。 また、小澤本人が殊勝にも、仮にこの申し出(人事)を断りたかったとしても、それはできなかっただろう。 もしそんなことをすれば、その瞬間に彼の指揮者生命は断たれたことであろう。 「日本のどこにも居場所がない」と本人が言うように、また世界のどこにも居場所がないに違いない。 だからボストンに25年も居座らざるを得なかったのではないか。 ボストンでも、本当は小澤の前にC・デイヴィスに今のポストを要請したが、断られたので 止む無く他の指揮者(結果小澤)に当たらざるを得なかったらしい。
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