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名無しの笛の踊り
【巨匠】小澤征爾Seiji Ozawa第13演目目【復活】
○ 新国立劇場 ● ♪第27幕♪

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【巨匠】小澤征爾Seiji Ozawa第13演目目【復活】
818 :名無しの笛の踊り[]:2012/02/17(金) 11:27:34.10 ID:uHLe1R82
うぜえヴァカが居やがるから>>812の内容を貼っておいてやろうwwwwww
これでwikiを編集しても一生消えなくなっちまったがなwwwwwww

N響事件

軋轢に至る経緯

小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔合わせしたのは、1961年7月の杉並公会堂における放送録音であった。
翌1962年には、半年間「客演指揮者」として契約。当初は6月の定期を含めた夏の間だけの契約予定だったが、

秋の定期を指揮する予定だったラファエル・クーベリックが出演をキャンセルしたため、12月まで契約期間が延長された。
7月4日にはオリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」日本初演を指揮するなど
小澤とN響のコンビは順調に活動しているかのように思えたが、
10月2日の香港を皮切りとする
シンガポール・マレーシア・フィリピン・沖縄への演奏旅行でN響と小澤の間に感情的な軋轢が生じ、
11月の第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評された直後、11月16日にN響の演奏委員会が

「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明。
小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響の理事は小澤を「あんにゃろう」と罵り、N響は小澤に内容証明を送りつけ、
小澤も1962年12月18日、NHKを契約不履行と名誉毀損で訴える事態となった。
このため、12月20日、第435回定期公演と年末恒例の「第九」公演の中止が発表された。

マニラ公演の失敗

このトラブルの原因について、小澤が遅刻を繰り返したためという説を八田利一が述べている。
原田三朗もまた、小澤が「ぼくは朝が弱い」と称して遅刻を繰り返し、
しかもそのことを他人のせいにして謝罪しなかったのがN響から反感を買った一因だったと述べている。

東南アジア演奏旅行における小澤はホテルのバーで朝の6時半まで飲み明かした状態で本番に臨み、
マニラ公演で振り間違いを犯して演奏を混乱させ、コンサートマスターの海野義雄らに恥をかかせた上、
「38度の熱があった」「副指揮者が来なかったせいだ」と虚偽の弁解を並べて開き直ったために
N響の信頼を失ったといわれる。
【巨匠】小澤征爾Seiji Ozawa第13演目目【復活】
819 :名無しの笛の踊り[]:2012/02/17(金) 11:28:45.61 ID:uHLe1R82
ただし小澤自身は

「副指揮者なしで、孤軍奮闘したぼくは、酷暑のこの都市で、首の肉ばなれのため39度の発熱をし、
 ドクターストップをうけたのだった。このような状態で棒をふったために、些細なミスを冒して(ママ)しまった。
 しかし、演奏効果の点では、全く不問に附していいミスであったとぼくは思う。
 それを楽員の一部の人たちは、ぼくをおとし入れるために誇大にいいふらし、あれは仮病であるとまでいった」

と反論している。

紛争の原因

後年、1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー
(2007年9月にサイトウ・キネン・フェスティバルの企画として、NHKで放送された)で、

小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。
でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」
との趣旨の発言で振り返っている。しかし原田三朗はこの見解を否定し、

「アメリカで育ったような小澤の音楽と、ローゼンストック以来のウィーン楽派と
 シュヒターのベルリン・フィル的な訓練に慣れたN響の音楽観のちがいが、紛争の原因だという見解が当時、支配的だった。
 楽団員は若い指揮者をそねんでいるとか、もっとおおらかでなければならない、などという意見もつよかった。

 しかし、ほんとうの原因はそんな立派なことではなかった。遅刻や勉強不足という、若い小澤の甘えと、
 それをおおらかにみようとしない楽団員、若い指揮者を育てようとしなかった事務局の不幸な相乗作用だった」

と述べている。


【巨匠】小澤征爾Seiji Ozawa第13演目目【復活】
820 :名無しの笛の踊り[]:2012/02/17(金) 11:29:55.29 ID:uHLe1R82
社会問題に発展

この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、
井上靖・石原慎太郎・武満徹・芥川也寸志・中島健蔵・浅利慶太といった面々が
「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKとN響に質問書を提出すると共に、
芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。

小澤は活動の場を日本フィルに移し、
翌1963年1月15日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。

三島由紀夫は『朝日新聞』1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道」という一文を発表し、

「日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、
 もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。
 私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。
 もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、
 これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である」

「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。
 人間は、小姑根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、
 その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、
 人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている」

と概括した。
○ 新国立劇場 ● ♪第27幕♪
812 :名無しの笛の踊り[]:2012/02/17(金) 11:31:23.27 ID:uHLe1R82
>>810
あいくちを呑んでいる という事は、懐にあいくちを忍ばせているということか

捕まるぞ


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