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139 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:43:25.34 ID:6wE4/ze00 - >>88
教皇の教えが神の名の下に説かれる、 ・異教徒を殺しつくせと十字軍。 ・領主や神父は聖なる存在だから領民の初夜権を有する。 ・罪を犯しても教会に寄進すれば神の名のもとに許される免罪符。 ・異教徒を奴隷にする権利と許可を与える 1452年、ローマ教皇ニコラウス5世は異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて 非キリスト教圏の侵略を正当化した
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140 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:45:13.33 ID:6wE4/ze00 - >>99
>>97 1560年代以降、イエズス会の宣教師たちはポルトガル商人による奴隷貿易が 日本における宣教のさまたげになり、宣教師への誤解を招くものと考え、 たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めていたが、 1571年に当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令 を発布させることに成功した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。 天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の一行が、 各地で日本人奴隷を目撃し、自国人と白人両方への憤りを報告書に記した という『天正遣欧使節記』(デ・サンデ著/雄松堂書店)。 天正15年(1587年)6月18日、九州討伐の途上で豊臣秀吉は十一か条 にわたるキリシタンへの規制を表明したが、その第十一か条に人身売買 を禁ずる項目が含まれている。(しかし、この表明の中ではキリシタン は「八宗九宗」すなわち体制内の宗教と認めて禁制とされていない。 しかし翌6月19日の定書では一転してキリシタンを禁止している。) 6月19日、秀吉は陣中へ当時のイエズス会の布教責任者であった宣教 師ガスパール・コエリョを呼び、人身売買と宣教師の関わりについて詰問している。 慶長元年(1596年)には長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティ ンスはキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがい れば例外なく破門すると通達している。 やがて日本が鎖国に踏み切り、外国人商人の活動を幕府の監視下で厳密に 制限することによって日本人奴隷の海外売買はほぼ消滅した。
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141 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:47:00.72 ID:6wE4/ze00 - >>104
>>103 キリスト教神学者たちは、肌の色が違うインディオたちが、キリストに救われるべき魂を持った、 同じ人類であるかどうかを疑っていました。 神父ラス・カサスがその著書「インディアス(スピノザ注・スペイン人が発見・征服・ 植民した地域の総称)の破壊についての簡潔な報告」(岩波書店)で疑義を呈するまでは。 その後キリスト教の神学者たちは、インディオが、救済されるべき魂を持った人間か、 それとも魂を持たないただの動物に過ぎないのか、に関して、真剣な、しかし滑稽な論争を繰り広げました。 ですが、ラス・カサスの努力、奮戦にも拘わらず、一般の入植者たちはインディオを 魂のない動物と見なし、奴隷以下の扱いをし、虐殺を繰り広げることを止めませんでした。 こうして、西インド諸島の数々の小国や、インカ帝国、アステカ帝国はスペイン人の植民地 政策による虐殺、及びヨーロッパからの疫病により、殲滅、と言っていいほどに人口が激減します。 例えばインカ帝国の人口は、最盛期には1600万人程度いたと推定されますが、 それが100年ほどでわずか108万人にまで減ってしまいます。 また、アステカ帝国の領域においても、征服前の先住民の人口は少なく見積もって、 およそ1100万人であったと推測されます。それが、1600年の人口調査では 100万人程度にまで落ち込んでしまうのです。 コロンブスの西インド諸島到着が一四九二年ですから、わずか百年あまりで、 これだけの惨劇を生んだわけです。
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142 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:49:08.13 ID:6wE4/ze00 - >>127
>>129 >>130 これは、インカ帝国、アステカ帝国という強大な国家に所属していたインディオたちだけの推計です。 これらの帝国に所属していない、西インド諸島や、密林に住むインディオたちを数えれば、 虐殺されたインディオの数は、もっと膨れあがるだろうと思われます。 ラス・カサスは言います。 (「インディアスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサス著・岩波書店p26〜27) ――ふつう、彼らはインディオたちの領主(セニョール)や貴族を次のような手口で殺した。 地中に打ち込んだ四本の棒の上に細長い棒で作った鉄灸のようなものをのせ、それに彼らを 縛りつけ、その下でとろ火を焚いた。すると領主たちはその残虐な拷問に耐えかねて悲鳴を あげ、絶望し、じわじわと殺された。 一度、私は頭株の人たちや領主(セニョール)が四、五人そうして火あぶりにされているのを目撃した (また、ほかにも同じような仕掛けが二、三組あり、そこでもインディオたちが火あ ぶりにされていたのを記憶している) 彼らは非常に大きな悲鳴をあげ、司令官(カピタン)を悩ませた。(中略)邪悪な警吏 は(即死させる)絞首刑をよしとせず、大声を立てさせないように、彼らの口へ棒をねじ 込み、火をつけた。結局インディオたちは、警吏の望みどおり、じわじわと焼き殺されて しまったのである。
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144 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:53:59.13 ID:6wE4/ze00 - >>134
>>136 このカシーケ(首長)はキリスト教徒たちのことをよく知っていたので、 彼らがキューバ島に上陸してからも逃げつづけ、時たま彼らに出くわすこと があっても、いつもうまく身を守っていた。 しかし、とうとう、彼はつかまってしまい、生きたまま火あぶりにされた。 その場に居合わせたフランシスコ会の聖職者は木に縛りつけられたそのカ シーケに神と我らの信仰に関する事柄を説いた(カシーケはそれまでに一度 もそのような話を耳にしたことがなかった)。 彼(聖職者)はカシーケに、もし言ったことを信じるなら、栄光と永 遠の安らぎのある天国に召され、そうでなければ地獄に落ちて果てしない 責め苦を味わうことになると語った。 カシーケはしばらく考えてから、キリスト教徒たちも天国へ行くのかと 尋ねた。彼はうなずいた。正しい人はすべて天国へ召されるのだと答えた。 すると、そのカシーケは言下に言い放った。 キリスト教徒たちには二度と会いたくはない。そのような残酷な人たち の顔も見たくない。いっそ天国より地獄へ行った方がましである、と。イ ンディアスへ渡ったキリスト教徒たちが神と我らの信仰のために手に入れ た名声と名誉とは、実にこのようなものなのである。
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145 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ afd7-Ve17)[sage]:2017/01/26(木) 22:55:29.90 ID:6wE4/ze00 - >>143
「「「「「1552年にこの報告が公表されると、教会、政治家、商人たちから ラス・カサスに対して非難が集中した。 彼らはラス・カサスを「恥知らずの修道士」「狂信的で邪心ある司教」 などと指弾し、報告が暴露した大虐殺の事実を覆い隠そうとした。」」」」」」 ラス・カサス著 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 白人のアメリカ到達以来の、先住民に対する白人の残虐無法ぶりを見て、 たまりかねて非を内部告発した者がいた。 コロンブスと同時代のスペイン人、ラス・カサスであった。 聖職者だったラス・カサスは、 キューバ島で広大な拝領地(エンコミエンダという)の住人として、 物質的利益の追求をしていたが、回心してスペインに戻ってきた。 彼はインディオの虐待を見て、自国の植民地政策を痛烈に批判し、 スペイン国王に報告書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」 を送ったのである。 その報告書でラス・カサスは、 搾取と原住民の殺戮が日常化している植民地の実態を暴露した。 1552年にこの報告が公表されると、教会、政治家、商人たちから ラス・カサスに対して非難が集中した。 彼らはラス・カサスを「恥知らずの修道士」「狂信的で邪心ある司教」 などと指弾し、報告が暴露した大虐殺の事実を覆い隠そうとした。
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