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名無シネマ@上映中
さや侍 6刀目

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さや侍 6刀目
181 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 12:45:39.23 ID:lGxCXINV
実際の物語の進行と並行して
暗喩的に「笑い」の無常観が増すという
逆説的な「笑い」への不信(疑い)と信奉が生まれていた
つまり「笑い」という作りものが
意図しないところで違う力を持つという意味において
ノミさんを起用したのは正解だったと思うが
如何せんまだコマ割りが雑なところがある。
もちろん説明過剰に対するアンチテーゼでもあるのだと思うが
それにしてももっと考えるべきかな
タケシの作品はその辺の勘が凄く優れてると思うし
その行間にこそ映画の本質があるように思う
さや侍 6刀目
202 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 15:17:55.12 ID:lGxCXINV
>>183
>たけしを必要以上に褒めるのはどうかと思うわ

この発言は>>181に対してなのかな?
だとしたら答えるけど、
僕はタケシの全ての作品を褒めてるわけでもないし
タケシを絶賛してるわけでもないんだよ

松本とタケシが比較されやすいという部分で
ある意味で大きな違いは何かと言えば
映画の部分で言うとコマ割りだと書いたまでなんだよね

2ちゃんねるっていうのは何かを少し褒めれば
それに対抗する人物や作品の信者にされてしまうという二極論的な構図があるわけだけど
そういう意図は全くないんだよ

タケシは初期〜中期の映画数作品が優れていると個人的に思ってるし
近年は確かに駄作にも程があるものさえあると思ってるよ
言葉の詩的喚起力の点では松本のほうが圧倒的に優れてるわけで
そんな松本が映画監督として有能になるには
まだ前途があるとは思うんだよね
そういう意味で期待もある
タケシにはもうそれもないと思ってるけど

さや侍 6刀目
209 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 15:27:43.04 ID:lGxCXINV
>>203
>松本映画はいずれも最後に浜ちゃんが出てきて「わけわからんわ!」
>って松ちゃんの頭を叩いたら成立する。

これって比喩としての表現であって
実際にはハマちゃん登場して云々ということを書いてるわけじゃないでしょw

つまり松本の映画に対する帰結において
浜田というような圧倒的外部が不在であることを説明してるんだよ
実際にハマちゃんに突っ込みさせろとかそういう意味じゃないよw
さや侍 6刀目
212 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 15:34:43.36 ID:lGxCXINV
>>217
それ以上に無名な我々なんだけどねw
さや侍 6刀目
213 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 15:35:13.26 ID:lGxCXINV
>>211ね
さや侍 6刀目
219 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 15:53:24.15 ID:lGxCXINV
>>209
そのライターの言いたい内容のことね

>>215
>どうしても説得すべき相手
そんなことが書いてあったのかw
それは知らなかった
それならもうそれは比喩ではないよね
本当に浜田を出演させて突っ込ませろと言いたいわけかww
酷いなwww

圧倒的外部というのはそのライター比喩したかったのだろう本意を
こちらが勝手に推測して足したものだったわけだけど
比喩ですらなかったということでこちらの勝手な深読みだったね




さや侍 6刀目
221 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 16:15:01.22 ID:lGxCXINV
>>217
あに?もしかして私がおわライターだと言いたかったのかw

なんだかアンチとか信者って大変なんだな・・・
さや侍 6刀目
233 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 17:10:24.53 ID:lGxCXINV
>>229
それを言うと「7人の侍」や「座頭一」も、ということになるよね
でも短刀は割りとしっぽり納まるよ

ノミさんの抜擢というのは
この映画において本当に面白かった
松本が企てる効果とは別のところで
ノミさんがストーリーを動かしてる違う次元があって
その二次元が見る者を高次的な世界へ引きこんでしまう
そこには「笑い」への虚構と真実が見えてくるものがあって
松本にしか作れない作品になっていたのは間違いないね



さや侍 6刀目
235 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 17:21:10.67 ID:lGxCXINV
恐らく大衆の視聴者のほとんどが
いわゆるコント的な笑いを期待したり
ストーリーのみを単純に追うことしかできない人が多いわけでだから
そういう意味での一面性では
特に日本のような現状の文化的素養が平らになり過ぎているところでは
理解されにくいというのはあると思うんだよね。
松本はそれを先のNHKでも言いたかったのだと思うし
大衆芸術があまりに陳腐化して疲弊化してるところでは
松本のような映画は理解されない部分があるとは思う。
ただ今回のさや侍に至っては今までとは違う傾向の作品になっていて
手法そのもの、作っていく動機みたいなものの違いを感じるんだよね。
それは映画監督としての可能性をとても感じさせるものだったと思う。
さや侍 6刀目
237 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 17:39:01.11 ID:lGxCXINV
コメディを勝手に期待してるんだと思うよ
しかも質の低いものやある一定の「笑い」しか理解できない(しようとしない)人たちが
「笑えない」と批判するんだと思うね
さや侍 6刀目
239 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 17:54:40.65 ID:lGxCXINV
松本の持っている「笑い」って基本的に哀しみとか悲哀とか痛みとかに
裏打ちされているものでしょ(本人も確かそう発言してたと思う)。

例えば、自分の父親が真冬で凍結した横断歩道をステンと転んだとしたら
身内の者はそれをとても心配して悼むとする。
でもそれを見ている他人は面白いと感じてしまうわけだ。

「笑い」の根っこにはこういう差別が基本にあって
裏を返せば「笑い」=「切ないもの」であって、
テレビで見せる一面的な「笑い」はこの根っこにあるものが隠ぺいされすぎている。
見る側もその痛みを感じるほどの敏感さや貧しい時代を生きた人たちでもなくなってるわけで
そういう大衆が望む「笑い」と松本の抱える「笑い」の深さには相当ギャップがあるはず。

でも、松本の「笑い」というのはいつもこの切なさや痛みに裏打ちされていて
この根っこの部分が今作「さや侍」では俯瞰的によく表れていたと思う。
そこにノミさんという社会的に疎外されてるような素人が出てきたことで
尚更に面白さの強度を高めてしまっている。
これは本当に面白い抜擢だと思うね。
さや侍 6刀目
240 :名無シネマ@上映中[sage]:2011/06/17(金) 17:59:50.41 ID:lGxCXINV
>>234
レス見逃してましたゴメン。

妻が流行り病で亡くなった事を契機にノミさんは侍としての生きる意味を失った。
人と争うのをやめて刀も捨てたんです。
脱藩した理由は語られていないのですが、
追憶に生きようと(「笑い」の意味を知るために)
妻との思い出の残る地から離れ妻との思い出の中に
新しい生きる意味を探そうとしたわけです。
そこに「笑わす」という意味が付加されていたのだと思う。




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