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名無しさん@お腹いっぱい。
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80 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/06/02(木) 08:13:05.22 ID:/+9NhxpY
土への往生の真の教えとの思いはあったが、浄土真宗と名乗ることは浄土宗の否定とも取られかねないため、当時はただ真宗と名乗った。
ちなみに浄土宗や時宗でも自らを「浄土真宗」「真宗」と称した例があり、また時宗旧一向派(開祖一向俊聖)を「一向宗」と称した例もある。
近世には浄土宗からの圧力により、江戸幕府から「浄土真宗」と名乗ることを禁じられ、「一向宗」と公称した(逆に本来「一向宗」を公称していた一向俊聖の法統は、
本来は無関係である時宗へと強制的に統合される事になる)。親鸞の法統が「浄土真宗」を名乗ることの是非について浄土真宗と浄土宗の間で争われたのが
安永3年(1774年)から15年にわたって続けられた宗名論争である。 明治5年(1872年)太政官正院から各府県へ「一向宗名之儀、自今真宗ト改名可致旨」の布告が発せられ、
ここに近代になってようやく「(浄土)真宗」と表記することが認められたのである。
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。
室町時代の後期に登場した本願寺八世の蓮如(1415年-1499年)は、当時の民衆の成長を背景に講と呼ばれる組織を築き、人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供し、
また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文(御文章)』を著作し、一般に広く教化した。この事により本願寺は急速に発展・拡大し、一向宗と呼ばれるようになった(逆にこの他の真宗各派は衰退することとなる)。
この講の信者の団結力は、蓮如の制止にもかかわらず施政者(大名など)に向かった。中世末の複雑な支配権の並存する体制に不満を持つ村々に国人・土豪が真宗に改宗することで加わり、
「一向一揆」と呼ばれる一郡や一国の一向宗徒が一つに団結した一揆が各地で起こるようになる。そのため、この後に加賀の例で記述するような大名に対する反乱が各地で頻発し、
徳川家康・上
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110 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/06/02(木) 08:13:30.09 ID:/+9NhxpY
土への往生の真の教えとの思いはあったが、浄土真宗と名乗ることは浄土宗の否定とも取られかねないため、当時はただ真宗と名乗った。
ちなみに浄土宗や時宗でも自らを「浄土真宗」「真宗」と称した例があり、また時宗旧一向派(開祖一向俊聖)を「一向宗」と称した例もある。
近世には浄土宗からの圧力により、江戸幕府から「浄土真宗」と名乗ることを禁じられ、「一向宗」と公称した(逆に本来「一向宗」を公称していた一向俊聖の法統は、
本来は無関係である時宗へと強制的に統合される事になる)。親鸞の法統が「浄土真宗」を名乗ることの是非について浄土真宗と浄土宗の間で争われたのが
安永3年(1774年)から15年にわたって続けられた宗名論争である。 明治5年(1872年)太政官正院から各府県へ「一向宗名之儀、自今真宗ト改名可致旨」の布告が発せられ、
ここに近代になってようやく「(浄土)真宗」と表記することが認められたのである。
親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる覚如(1270年-1351年)は、三代伝持等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。
こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ佛光寺七世の了源(1295年-1336年)など他の法脈は、佛光寺や専修寺などを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。
この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。
室町時代の後期に登場した本願寺八世の蓮如(1415年-1499年)は、当時の民衆の成長を背景に講と呼ばれる組織を築き、人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供し、
また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文(御文章)』を著作し、一般に広く教化した。この事により本願寺は急速に発展・拡大し、一向宗と呼ばれるようになった(逆にこの他の真宗各派は衰退することとなる)。
この講の信者の団結力は、蓮如の制止にもかかわらず施政者(大名など)に向かった。中世末の複雑な支配権の並存する体制に不満を持つ村々に国人・土豪が真宗に改宗することで加わり、
「一向一揆」と呼ばれる一郡や一国の一向宗徒が一つに団結した一揆が各地で起こるようになる。そのため、この後に加賀の例で記述するような大名に対する反乱が各地で頻発し、
徳川家康・上
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89 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/06/02(木) 20:54:43.30 ID:/+9NhxpY
まぁ、このような<悪人>でも心を入れ替えれば「菩薩」になる、というのが大乗
仏教の面白いところかもしれない。善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(善人
でさえ極楽浄土に生まれ変わって幸福になるというのに、悪人が幸せになれない筈が
ないぢゃないか/仏は衆生の救済を目標に頑張っているんだけれども、善人が極楽に
行けるのは<当たり前>、当たり前に極楽に行けない悪人をこそ、仏は救いたがって
いる。だから、念仏さえ唱えれば、悪人をこそ、仏は浄土へ導く)という者まで現れ
る始末だ。これは、密教呪術から派生したのかもしれない。何せ、当時最高の利益で
あった極楽浄土への往生を、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで実現できるのだ。最強
最高の呪文である。この呪文を口語訳すれば、「阿弥陀仏に帰依いたしますぅ」。即
ち、「南無(ナム)」が「絶対的かつ全面的に帰依し奉る」という誓言らしいが、確
かに可愛い子猫に、「ニャムゥ」と甘えられたら、放ってはおけない。助けてやりた
くなるのが、人情だろう。阿弥陀仏というのは、なかなか侠気がある。けっこう良い
ヤツなのだ。良い意味での「ごろつき」なのかもしれない。まぁ、イーカゲンなヤツ
だとも言える。
 ……だから龍樹が少年時代にスケベェで卑怯で乱暴な強姦魔の「ごろつき」であっ
たという話は、遅くとも近世には、かなり博く流布していたと思われる。龍樹には、
吹けば飛ぶような枯れたイメージがない。獣じみた猛々しさ、とまでは言わないが、
<腕白坊主のなれの果て>、なのである。龍樹は、眼光鋭い「ごろつき」じみた風貌
が似合う。

 そして、その法統を引く小角は、獣じみた猛々しさを有っていた。いや実は龍樹の
法統の何処を如何嗣いだのかよく分からない。龍樹には、大智度論という莫大な著述
がある。しかし、小角は、呪術というか行法のマニュアルなどは多く残している、も
しくは、残したと伝えられているが、特筆すべき教義を建てたとは聞かない。だいた
い彼は、<僧侶>でもなかった。寺に入ることもせず、髪もそのまま、法名すらない。
彼は仏教者というよりは、<スーパーマン>として有名だったようだ。彼は信仰者で
はなく、彼こそが信仰の対象、神であった。

 江戸期に書かれた幾つかの伝記に於いて、彼は別に民を救済しようとはしていない
ように思う。一人で勝手に山に登り、色々と怪しいワザを行ってはいるが、何も人の
為になっていない。彼は民衆を惑わしていると訴えられ朝廷に捕縛される。彼自身は
術を使って捕手を翻弄するが、母親を人質にとられ、自ら縛に就く。母親すら救えな
いスーパーマンなのだ。結局、彼は<何だかよく分からないけれども、何だか凄そう
な人>に過ぎない。
 その何だか凄そうな人には凄味がある。前述の一言主に土木工事を命じるのだが、
一言主が「私は醜いから明るい昼間に働くのは恥ずかしいんですぅ。夜だけ働かせて
下さぁい」と願うのだが、「うるさい! 昼も夜も働けえっ」と怒鳴り上げ、遂に縛
り上げてしまうのだ。今でも一言主は、どこかに縛られたまま転がっているという。
此処に於いて子角は、単なるサディストである。このように、<恥ずかしい格好>で
縛り転がしておくのを、斯道の人は<放置プレー>と呼ぶらしい。酷い話だ。
 また役君形生記坤巻第二金峰山修行之事に「祈念金峰鎮護之霊神顕瑞相爾時出現弥
勒仏行者曰柔和慈悲御像也次化現千手観音行者曰守護此宝山済度濁悪衆生不可合此御
体其後現出釈迦仏行者曰此御像難有退六種魔境利益悪行深重衆生厥後堅固不壊金剛蔵
王踊出曰昔在霊鷲山説妙法華経今在金峰山示現蔵王身行者拝安置金峰山三国伝記曰後
従磐石内踊出金剛蔵王忿怒像而行者渇仰信受……」。
小角は金峰山に籠もり、信奉すべき仏を考えていた。まず現れたのは、弥勒菩薩だ
った。小角は「柔和」な弥勒が気に入らないので、無視する。次に千手観音が現れる
が、趣味に合わない。こんな弱っちい仏では、金峰山を守護したり、「濁悪」の人々
を救済できないと思ったのだ。次に釈迦仏が登場したが、「悪行深重」な人々を幸せ
には出来ないと考え、やはり捨てる。
 そして最後に「踊出」たのが、蔵王だった。漸く小角は、信奉すべき仏と巡り会っ
た。変な趣味である。この蔵王、此処には書いていないが、この仏、役行者本記では
「青黒忿怒而右手杵金剛杵左手刀印押腰」(奇特分之三深秘分之一)という格好だ。
全身が青黒く、激怒した表情で、右手に先端が三つ又になっている刺殺武器、左手は
肘を突っ張らかして腰に押し当てている、という形だ。恐ろしげな仏像には、「青黒」
のものが多い。
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91 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/06/02(木) 21:55:41.84 ID:/+9NhxpY
まぁ、このような<悪人>でも心を入れ替えれば「菩薩」になる、というのが大乗
仏教の面白いところかもしれない。善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(善人
でさえ極楽浄土に生まれ変わって幸福になるというのに、悪人が幸せになれない筈が
ないぢゃないか/仏は衆生の救済を目標に頑張っているんだけれども、善人が極楽に
行けるのは<当たり前>、当たり前に極楽に行けない悪人をこそ、仏は救いたがって
いる。だから、念仏さえ唱えれば、悪人をこそ、仏は浄土へ導く)という者まで現れ
る始末だ。これは、密教呪術から派生したのかもしれない。何せ、当時最高の利益で
あった極楽浄土への往生を、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで実現できるのだ。最強
最高の呪文である。この呪文を口語訳すれば、「阿弥陀仏に帰依いたしますぅ」。即
ち、「南無(ナム)」が「絶対的かつ全面的に帰依し奉る」という誓言らしいが、確
かに可愛い子猫に、「ニャムゥ」と甘えられたら、放ってはおけない。助けてやりた
くなるのが、人情だろう。阿弥陀仏というのは、なかなか侠気がある。けっこう良い
ヤツなのだ。良い意味での「ごろつき」なのかもしれない。まぁ、イーカゲンなヤツ
だとも言える。
 ……だから龍樹が少年時代にスケベェで卑怯で乱暴な強姦魔の「ごろつき」であっ
たという話は、遅くとも近世には、かなり博く流布していたと思われる。龍樹には、
吹けば飛ぶような枯れたイメージがない。獣じみた猛々しさ、とまでは言わないが、
<腕白坊主のなれの果て>、なのである。龍樹は、眼光鋭い「ごろつき」じみた風貌
が似合う。

 そして、その法統を引く小角は、獣じみた猛々しさを有っていた。いや実は龍樹の
法統の何処を如何嗣いだのかよく分からない。龍樹には、大智度論という莫大な著述
がある。しかし、小角は、呪術というか行法のマニュアルなどは多く残している、も
しくは、残したと伝えられているが、特筆すべき教義を建てたとは聞かない。だいた
い彼は、<僧侶>でもなかった。寺に入ることもせず、髪もそのまま、法名すらない。
彼は仏教者というよりは、<スーパーマン>として有名だったようだ。彼は信仰者で
はなく、彼こそが信仰の対象、神であった。

 江戸期に書かれた幾つかの伝記に於いて、彼は別に民を救済しようとはしていない
ように思う。一人で勝手に山に登り、色々と怪しいワザを行ってはいるが、何も人の
為になっていない。彼は民衆を惑わしていると訴えられ朝廷に捕縛される。彼自身は
術を使って捕手を翻弄するが、母親を人質にとられ、自ら縛に就く。母親すら救えな
いスーパーマンなのだ。結局、彼は<何だかよく分からないけれども、何だか凄そう
な人>に過ぎない。
 その何だか凄そうな人には凄味がある。前述の一言主に土木工事を命じるのだが、
一言主が「私は醜いから明るい昼間に働くのは恥ずかしいんですぅ。夜だけ働かせて
下さぁい」と願うのだが、「うるさい! 昼も夜も働けえっ」と怒鳴り上げ、遂に縛
り上げてしまうのだ。今でも一言主は、どこかに縛られたまま転がっているという。
此処に於いて子角は、単なるサディストである。このように、<恥ずかしい格好>で
縛り転がしておくのを、斯道の人は<放置プレー>と呼ぶらしい。酷い話だ。
 また役君形生記坤巻第二金峰山修行之事に「祈念金峰鎮護之霊神顕瑞相爾時出現弥
勒仏行者曰柔和慈悲御像也次化現千手観音行者曰守護此宝山済度濁悪衆生不可合此御
体其後現出釈迦仏行者曰此御像難有退六種魔境利益悪行深重衆生厥後堅固不壊金剛蔵
王踊出曰昔在霊鷲山説妙法華経今在金峰山示現蔵王身行者拝安置金峰山三国伝記曰後
従磐石内踊出金剛蔵王忿怒像而行者渇仰信受……」。
小角は金峰山に籠もり、信奉すべき仏を考えていた。まず現れたのは、弥勒菩薩だ
った。小角は「柔和」な弥勒が気に入らないので、無視する。次に千手観音が現れる
が、趣味に合わない。こんな弱っちい仏では、金峰山を守護したり、「濁悪」の人々
を救済できないと思ったのだ。次に釈迦仏が登場したが、「悪行深重」な人々を幸せ
には出来ないと考え、やはり捨てる。
 そして最後に「踊出」たのが、蔵王だった。漸く小角は、信奉すべき仏と巡り会っ
た。変な趣味である。この蔵王、此処には書いていないが、この仏、役行者本記では
「青黒忿怒而右手杵金剛杵左手刀印押腰」(奇特分之三深秘分之一)という格好だ。
全身が青黒く、激怒した表情で、右手に先端が三つ又になっている刺殺武器、左手は
肘を突っ張らかして腰に押し当てている、という形だ。恐ろしげな仏像には、「青黒」
のものが多い。
チア関連イベント情報83 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
95 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/06/02(木) 21:56:08.33 ID:/+9NhxpY
まぁ、このような<悪人>でも心を入れ替えれば「菩薩」になる、というのが大乗
仏教の面白いところかもしれない。善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(善人
でさえ極楽浄土に生まれ変わって幸福になるというのに、悪人が幸せになれない筈が
ないぢゃないか/仏は衆生の救済を目標に頑張っているんだけれども、善人が極楽に
行けるのは<当たり前>、当たり前に極楽に行けない悪人をこそ、仏は救いたがって
いる。だから、念仏さえ唱えれば、悪人をこそ、仏は浄土へ導く)という者まで現れ
る始末だ。これは、密教呪術から派生したのかもしれない。何せ、当時最高の利益で
あった極楽浄土への往生を、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで実現できるのだ。最強
最高の呪文である。この呪文を口語訳すれば、「阿弥陀仏に帰依いたしますぅ」。即
ち、「南無(ナム)」が「絶対的かつ全面的に帰依し奉る」という誓言らしいが、確
かに可愛い子猫に、「ニャムゥ」と甘えられたら、放ってはおけない。助けてやりた
くなるのが、人情だろう。阿弥陀仏というのは、なかなか侠気がある。けっこう良い
ヤツなのだ。良い意味での「ごろつき」なのかもしれない。まぁ、イーカゲンなヤツ
だとも言える。
 ……だから龍樹が少年時代にスケベェで卑怯で乱暴な強姦魔の「ごろつき」であっ
たという話は、遅くとも近世には、かなり博く流布していたと思われる。龍樹には、
吹けば飛ぶような枯れたイメージがない。獣じみた猛々しさ、とまでは言わないが、
<腕白坊主のなれの果て>、なのである。龍樹は、眼光鋭い「ごろつき」じみた風貌
が似合う。

 そして、その法統を引く小角は、獣じみた猛々しさを有っていた。いや実は龍樹の
法統の何処を如何嗣いだのかよく分からない。龍樹には、大智度論という莫大な著述
がある。しかし、小角は、呪術というか行法のマニュアルなどは多く残している、も
しくは、残したと伝えられているが、特筆すべき教義を建てたとは聞かない。だいた
い彼は、<僧侶>でもなかった。寺に入ることもせず、髪もそのまま、法名すらない。
彼は仏教者というよりは、<スーパーマン>として有名だったようだ。彼は信仰者で
はなく、彼こそが信仰の対象、神であった。

 江戸期に書かれた幾つかの伝記に於いて、彼は別に民を救済しようとはしていない
ように思う。一人で勝手に山に登り、色々と怪しいワザを行ってはいるが、何も人の
為になっていない。彼は民衆を惑わしていると訴えられ朝廷に捕縛される。彼自身は
術を使って捕手を翻弄するが、母親を人質にとられ、自ら縛に就く。母親すら救えな
いスーパーマンなのだ。結局、彼は<何だかよく分からないけれども、何だか凄そう
な人>に過ぎない。
 その何だか凄そうな人には凄味がある。前述の一言主に土木工事を命じるのだが、
一言主が「私は醜いから明るい昼間に働くのは恥ずかしいんですぅ。夜だけ働かせて
下さぁい」と願うのだが、「うるさい! 昼も夜も働けえっ」と怒鳴り上げ、遂に縛
り上げてしまうのだ。今でも一言主は、どこかに縛られたまま転がっているという。
此処に於いて子角は、単なるサディストである。このように、<恥ずかしい格好>で
縛り転がしておくのを、斯道の人は<放置プレー>と呼ぶらしい。酷い話だ。
 また役君形生記坤巻第二金峰山修行之事に「祈念金峰鎮護之霊神顕瑞相爾時出現弥
勒仏行者曰柔和慈悲御像也次化現千手観音行者曰守護此宝山済度濁悪衆生不可合此御
体其後現出釈迦仏行者曰此御像難有退六種魔境利益悪行深重衆生厥後堅固不壊金剛蔵
王踊出曰昔在霊鷲山説妙法華経今在金峰山示現蔵王身行者拝安置金峰山三国伝記曰後
従磐石内踊出金剛蔵王忿怒像而行者渇仰信受……」。
小角は金峰山に籠もり、信奉すべき仏を考えていた。まず現れたのは、弥勒菩薩だ
った。小角は「柔和」な弥勒が気に入らないので、無視する。次に千手観音が現れる
が、趣味に合わない。こんな弱っちい仏では、金峰山を守護したり、「濁悪」の人々
を救済できないと思ったのだ。次に釈迦仏が登場したが、「悪行深重」な人々を幸せ
には出来ないと考え、やはり捨てる。
 そして最後に「踊出」たのが、蔵王だった。漸く小角は、信奉すべき仏と巡り会っ
た。変な趣味である。この蔵王、此処には書いていないが、この仏、役行者本記では
「青黒忿怒而右手杵金剛杵左手刀印押腰」(奇特分之三深秘分之一)という格好だ。
全身が青黒く、激怒した表情で、右手に先端が三つ又になっている刺殺武器、左手は
肘を突っ張らかして腰に押し当てている、という形だ。恐ろしげな仏像には、「青黒」
のものが多い。


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