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名無しさん@お腹いっぱい。
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43 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/03/02(水) 20:28:02.81 ID:scN28iZQ
クワ総主教庁と北米メトロポリア、そして日本正教会との間で合意が取り交わされ、北米メトロポリアはアメリカ正教会として独立教会となり、
モスクワと関係を回復した上で日本正教会は自治教会となった。ニコライ・カサートキンは亜使徒として列聖された。この直前(1969年9月)、
経緯説明のためにアレクサンドル・シュメーマン神父が来日している。若干の混乱はいまだ続いていたものの、ここに日本正教会は一応安定す
ることとなった。ウラジミル・ナゴスキーが府主教・東京の大主教に、フェオドシイ永島新二が京都の主教に、セラフィム・シグリストが仙台
の主教に就任した。一方、モスクワの直接管轄下にあったグループは「モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ」に再編成された。ほどなくしてウラ
ジミル・ナゴスキー府主教が引退すると、フェオドシイ永島新二が府主教に就任。長く日本正教会の指導にあたった。ことにフェオドシイ永島
府主教の下で日本正教会は長らく懸案であった財政基盤を安定的なものとすることに一定程度成功し、自治教会に相応しい内実が整えられてい
った。細々と続いていた出版活動も拡大が図られ、「時課経」「大斎第一週間奉事式略」等の再発行、「主日奉事式」「徹夜祷(聖歌譜)」「諸聖略
伝」の発行等が日本正教会内部向けに行われ、外部向けには長司祭高橋保行、高井寿雄、川又一英などにより活発な著述活動が行われた。日本
正教会の歴史については長司祭牛丸康夫が教団内の研究・史料整理に大きな役割を果たした。フェオドシイ府主教の永眠の後、2000年5月、モ
スクワ総主教アレクシイ2世が来日。モスクワ総主教の訪日は歴史上初めてのものである(逆に言えばロシア正教会は日本正教会の母教会であ
るにもかかわらず、歴史上一度もモスクワ総主教の来日がそれまで無かった事を意味し、亜使徒ニコライ時代から日本正教会が日本人主体で運
営されてきた事がここにも示されている)。アレクシイ2世は、函館・東京・京都を訪れている。アレクシイ2世は京都では京都正教会のほか、
二条城も訪れた。東京では今上天皇と会談。東京復活大聖堂(ニコライ堂)ではアレクシイ2世司祷のもと、ダニイル主代郁夫の府主教選立式
及び首座主教着座式が挙行された。着座式にはアレクシイ2世総主教とダニイル主代府主教のほかに、ロシア正教会の主教2人、アメリカ正教
会の主教2人、日本正教会の主教1人(仙台の主教セラフィム辻永)も参加した。東京の大主教および全日本の府主教ダニイル主代は西日本の
主教を兼任している。現在、ダニイル主代府主教の下で伝道活動の復興が図られている。特にダニイル主代府主教は毎週日曜日に自らの執筆に
よるトラクトを配布し、数々のブックレットを発行するなどして、正教会の精神性についての啓発に力を入れている。代表的なものに『聖神入
門』(2005年、日本ハリストス正教会教団発行)、『聖ディオニシオス・聖マキシム・新神学者シメオン』、『聖師父のこころのあゆみ』がある。
モスクワ総主教庁の直接の管轄下にあって日本正教会と微妙な関係にあったモスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエとの関係はソ連崩壊後、フェオ
ドシイ永島府主教によってポドヴォリエの聖堂が成聖されるほどにまで関係が改善した。ダニイル主代郁夫府主教に日本正教会の首座主教が代
わり、モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ管轄下にある修道院でダニイル府主教も参加した聖体礼儀が行われ、2008年9月12日には目黒の新
聖堂である聖義徳大公アレクサンドル・ネフスキー聖堂の成聖式には、府主教ダニイル主代郁夫も参加した。東京復活大聖堂教会の成立主の降
誕聖堂(荻窪の山手ハリストス正教会)明治の宣教拡大期から東京にはいくつかの教会が置かれていたが、明治時代から大正時代、昭和初期に
かけて、さまざまな教会が設立されたり統廃合が行われたりするなどしていた。これらの各教会は関東大震災や戦災による混乱も伴った紆余曲
折を経た後、都内の教会は杉並に現存する山手ハリストス正教会の他は、ニコライ堂:東京復活大聖堂を中心に連合した。ただし本格的な組織的
統合は1974年に至ってからであり、この年、都内5つの教会が統合されて「中央教会」が発足した(「ニコライ堂」は大聖堂の通称であり、教
会名ではない)。中央教会は1983年には「東京復活大聖堂教会」と名称を変え、現在に至っている。2004年には「東京復活大聖堂教会創立30
周年記念式典」が執り行われた。宣教師ニコライの全日記刊行亜使徒大主教聖ニコライとして列聖されたニコライ・カサートキンについて、そ
の日記が存在していたことそのものは日本正教会の内部にも知られていたものの、おそらく関東大震災で散逸し失われたものと思われていた。
ところが1979年9月、中村健之介により、レニングラード(現サンクトペテルブ
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231 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/03/02(水) 20:42:30.61 ID:scN28iZQ
ルク)の中央国立歴史古文書館に保管されていた聖ニコライの日記の全てが発見された。2007年7月20日、日本語の全訳版が教文館より出版
された。この出版にあたっては日本財団から助成もなされた。全国を行脚していた聖ニコライによる詳細な日記の記述は、日本正教会史に新た
な一級史料を提供するのみならず、全国各地を訪れた聖ニコライによって観察された各地の習俗についての貴重な記録となるものでもあると評
価されている。関連:設計監督者の系譜1916年の函館ハリストス正教会の再建の際に設計監督にあたったのは、輔祭(のち司祭)として日本
正教会に奉職していたモイセイ河村伊蔵である。河村は豊橋ハリストス正教会の設計監督にも当たった。モイセイ河村の息子である内井進は建
築を本業とし、金成ハリストス正教会と小田原ハリストス正教会の両聖堂、およびニコライ堂のイコノスタスの設計に関わっている。内井進の
息子であるガウリイル内井昭蔵も建築家であり正教のクリスチャンである。皇居:吹上御苑の新御所、世田谷美術館、浦添市美術館などを手が
けた。著書『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』(丸善)は建築家としての視点と正教徒としての視点の両方から黄金の環・キエフ・サンク
トペテルブルクに存在する、主に正教会の聖堂を中心としてロシア建築を概観していくという珍しい書物である。埋葬式はニコライ堂で盛大に
行われた。永眠のほぼ直前の時期に、ニコライ堂のイコノスタスに新品のイコンを献納している。世俗的政治問題に対する姿勢近年、日本のキ
リスト教諸教団が「靖国問題」や「憲法問題」など政治運動に熱心に取り組んでいるなか、信徒個人としては大井憲太郎、昇曙夢など政治に携
わった者がいたものの、日本ハリストス正教会は他の諸教団とは一線を画して、正教会という団体としては政治運動と一切関わりを持っていな
い。これについては「政治的中立性を保っている」という評価から、「体制従属的である」という批判までさまざまである。因みに「体制従属的
である」という批判の声が挙がる一因として、天皇と為政者のための祈りがあるが、この祈りは新約聖書の中のテモテへの手紙一第2章の「願
いと祈りと執り成しと感謝をすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」という記述に基づくものと
される。諸外国の正教会では君主や為政者への祈りを捧げることは珍しくない。イギリスの正教会では女王のために祈りを捧げ、またアメリカ
合衆国では大統領と全軍のために祈りを捧げることで、君主や為政者、国軍が暴走をせず国民の平和と安寧秩序のためになるようにとの願いを
常に込めているとされる。日本ハリストス正教会による天皇と為政者への祈りも同様の意義をもつ。また、現日本国憲法下において天皇の地位
が日本国民の統合の象徴であることから、天皇への祈りは即ち日本国民全体への聖なる祈りであるとの意味合いも込められているとされる。ロ
ーマ帝国時代からオスマン帝国、ソビエト連邦において迫害を受けていた時期にも、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイによる福音
書5:44)の実践として異教徒である為政者のための祈りを正教会は行ってきたのであり、この観点から「敵のための祈り」の実践であるとの見
解もある。なお、モスクワ総主教庁が管轄している、ロシア人・ウクライナ人などの信徒が大多数である、駒込のロシア正教会モスクワ総主教
庁駐日ポドヴォリエでも、連祷などでロシアの国のための祈りのみならず、日本の天皇のための祈りが行われている。「その国の象徴・元首のた
めに祈る」のは民族主義的な色彩や「体制迎合」では説明できない伝統であることが示されている。この他に、海外の軍隊(主に東欧、また米
軍にも)では正教の従軍司祭も存在する。日本正教会に於いては、当然のことながら日本の法規制を受ける。そのひとつが、死んだ信者の亡骸
の扱いである。本来キリスト教においては、信者の亡骸は将来の復活に備え土葬とすることが基本とされ、ロシア正教ではそのことがより厳密
に求められている。しかし、日本は国土が狭く、なおかつ気候条件から亡骸が腐乱しやすいため、墓地埋葬法やこれに基づく自治体の条例によ
り、ほとんどの地域で亡骸は焼いて骨だけにしなければならなくなっている。このため、日本正教会では、火葬もやむなしとしており、火葬す
る場合であっても葬儀を「埋葬式」として扱っている。近年では、2009年に癌で死去した歌手の川村カオリが、この事例に該当(モスクワで生
まれ母親がロシア人であったため幼くして洗礼を受けていた)。中国正教会(ちゅうごくせいきょうかい)は、正教会の中国における自治教会。
中国には他に、コンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にあり、中国のみな


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