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名無しさん@お腹いっぱい。
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564 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/02/06(土) 17:15:54.24 ID:LWm72lX9
中国の天台宗は、隋の天台智者大師、智(538年-597年)を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。智は隋の第2代皇帝煬帝の帰依を受け、浙江省天台山国清寺と湖北省?州玉泉寺を建立し、天台宗を確立した。
初祖は北斉の慧文、第二祖は南岳慧思(515年-577年)であり、慧思の弟子が智である(龍樹を初祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)。
慧文は、龍樹による『大智度論』と『中論』に依って「一心三観」の仏理を無師独悟したとされる。それが、慧思を介して智に継承された。
智は、鳩摩羅什訳の『法華経』『摩訶般若波羅蜜経』『大智度論』、そして『涅槃経』に基づいて教義を組み立て、『法華経』を最高位に置いた五時八教という教相判釈(経典成立論)を説き、止観によって仏となることを説いた学僧である。
しかしながら、鳩摩羅什の訳した『法華経』は、現存するサンスクリット本とかなり相違があり、特に天台宗の重んじる方便品第二は羅什自身の教義で改変されている」という説がある。
羅什が『法華経』・『摩訶般若波羅蜜経』・『大智度論』を重要視していたことを考えると、天台教学設立の契機は羅什にあるといえなくもない。
天台山に宗派の礎ができた後、涅槃宗を吸収し天台宗が確立した。主に智の『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の三大部を天台宗の要諦としている。
これらの智の著作を記録し編集したのが、第四祖章安灌頂(561年-632年)である。灌頂の弟子に智威(?-680年)があり、その弟子に慧威(634年-713年)が出て、その後に左渓玄朗(672年-753年)が出る。
灌頂以後の天台宗の宗勢は振るわなかったため、玄朗が第五祖に擬せられている。
玄朗の弟子に、天台宗の中興の祖とされる第六祖、荊渓湛然(711年-782年)が現れ、三大部をはじめとした多数の天台典籍に関する論書を著した。
その門下に道邃と行満が出て、彼等が最澄に天台教学を伝えた。
智の著作である天台小止観、摩訶止観、次第禅門などの著作は禅の解説書としても依用されるが、もともとは、法華経の教理にもとづく悟りの法門であり、
特に摩訶止観の第七章は、円頓止観といって、究極の悟りを述べたものとされる。止観とは静と動の意味であり、漸次、不定、円頓の三止観を説き、
のちに現れた頓悟(ただ座ることにより仏性を自覚すること)を重視した、華厳宗の如来蔵の考えに基づく中国の五家七宗(臨済宗、黄龍派、楊岐派、?仰宗、雲門宗、曹洞宗、法眼宗)の禅宗とは別物である。
智の著作の座禅に関する解説がこの中で一番古く(6世紀初頭)、中国や日本の禅宗に座禅の教科書として影響を与えた。
このため、禅宗では、摩訶止観を重んじ、歴史的に架空人物である達磨大師が実は、天台大師ではなかったかという天台大師達磨大師説も唱えられている(関口真大)
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567 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2016/02/06(土) 19:06:04.30 ID:LWm72lX9
中国の天台宗は、隋の天台智者大師、智(538年-597年)を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。智は隋の第2代皇帝煬帝の帰依を受け、浙江省天台山国清寺と湖北省?州玉泉寺を建立し、天台宗を確立した。
初祖は北斉の慧文、第二祖は南岳慧思(515年-577年)であり、慧思の弟子が智である(龍樹を初祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)。
慧文は、龍樹による『大智度論』と『中論』に依って「一心三観」の仏理を無師独悟したとされる。それが、慧思を介して智に継承された。
智は、鳩摩羅什訳の『法華経』『摩訶般若波羅蜜経』『大智度論』、そして『涅槃経』に基づいて教義を組み立て、『法華経』を最高位に置いた五時八教という教相判釈(経典成立論)を説き、止観によって仏となることを説いた学僧である。
しかしながら、鳩摩羅什の訳した『法華経』は、現存するサンスクリット本とかなり相違があり、特に天台宗の重んじる方便品第二は羅什自身の教義で改変されている」という説がある。
羅什が『法華経』・『摩訶般若波羅蜜経』・『大智度論』を重要視していたことを考えると、天台教学設立の契機は羅什にあるといえなくもない。
天台山に宗派の礎ができた後、涅槃宗を吸収し天台宗が確立した。主に智の『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の三大部を天台宗の要諦としている。
これらの智の著作を記録し編集したのが、第四祖章安灌頂(561年-632年)である。灌頂の弟子に智威(?-680年)があり、その弟子に慧威(634年-713年)が出て、その後に左渓玄朗(672年-753年)が出る。
灌頂以後の天台宗の宗勢は振るわなかったため、玄朗が第五祖に擬せられている。
玄朗の弟子に、天台宗の中興の祖とされる第六祖、荊渓湛然(711年-782年)が現れ、三大部をはじめとした多数の天台典籍に関する論書を著した。
その門下に道邃と行満が出て、彼等が最澄に天台教学を伝えた。
智の著作である天台小止観、摩訶止観、次第禅門などの著作は禅の解説書としても依用されるが、もともとは、法華経の教理にもとづく悟りの法門であり、
特に摩訶止観の第七章は、円頓止観といって、究極の悟りを述べたものとされる。止観とは静と動の意味であり、漸次、不定、円頓の三止観を説き、
のちに現れた頓悟(ただ座ることにより仏性を自覚すること)を重視した、華厳宗の如来蔵の考えに基づく中国の五家七宗(臨済宗、黄龍派、楊岐派、?仰宗、雲門宗、曹洞宗、法眼宗)の禅宗とは別物である。
智の著作の座禅に関する解説がこの中で一番古く(6世紀初頭)、中国や日本の禅宗に座禅の教科書として影響を与えた。
このため、禅宗では、摩訶止観を重んじ、歴史的に架空人物である達磨大師が実は、天台大師ではなかったかという天台大師達磨大師説も唱えられている(関口真大)


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