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416 :曽野綾子の透明な歳月の光:[sage]:2012/11/02(金) 11:08:38.20 ID:Na6x4RRu - ある流経大生の事故
千葉県野田市の未明の県道で、ワゴン車が塀に突っ込むようにぶつかって止まっており、そばに1人の流経大生の 遺体が残されていた。 現場は無人だったので、誰もが奇異な感を抱いただろう。 起こってしまった事故は致し方ない。しかし、人が、傍らに投げ出されて死亡しているように見えれば、少なくと も同乗者は慌てて介抱し、救急車を呼び、携帯であちこちに電話をかけるだろう。 それが犠牲者と事故車を残して、全員が消えてしまったのだから、これはやはり大きな問題を含む事故だったのである。 千葉県警のその後の調べでわかったのは、ワゴン車には、投げ出されて死亡した流経大生のほかに、運転をしていた 亀田輝保(流経大生)容疑者を含めて、5人が乗っていた。 彼らはその前に居酒屋へ行き、運転をしていた亀田 容疑者はジュースを飲んだだけ、と言うが、微量のアルコールが検出された。 直後の原因は、飛び出してくる猫を 避けようとして塀にぶつかったのだという。 猫を避けようとしてハンドルさばきが狂うのはよくあることで 「本当にあれは危険なんですよ」という体験者もいる。 つまりその瞬間、何人も正確な予測をすることができなく なる、ということだ。 昔、砂漠での運転を習ったときに、ラクダと衝突しそうな場合の技術を教えられた。 ラクダにぶつかりそうになったら全力でアクセルを踏み込んで、ラクダをぶっ飛ばすようにしなければ、 車にぶつかった瞬間、あの巨大が運転席の上に倒れてきて人間が押しつぶされるだという。しかしこれは特殊例だ。 《眼前の現実から逃げる人々》 現実の世界では、1人の人間の上に、希(ねが)わしくない現実が起きたときは、全力を挙げて、 その処理をしなければならない。 逃げて逃げ切れることはないのだ。私たちは子供の頃から、 こうして耐え難いほどの困ったことや痛みを覚えることと対峙して、不幸を修復する訓練をさせられた。 私たちはコンピューターの中の疑似人生ではなく、生身の人や人生とぶつからなくてはならなかったから、 自然に心も鍛えられていったのだ。 そこに乗っていた5人が5人とも、倒れて動かない友人を見捨てて 逃げてしまったという状況は異様だし,もしそれが流経大生たちだとするなら彼らは基本的な人間性において、 学問をする資格がない。 流通経済大学当局も、深く考え直さねばならない点だろう。現実を直視し、 常にその状態について自己責任を果たし続けなければならないのが現世とうものだからである。 そんなことを思いつつ新聞を読み終わって、朝7時過ぎの電車に乗った。わざわざ選んだのではないが 偶然その出入り口の側は老人専用席だった。向かい合って6人分の席には、中年若手の男たちばかりが 座っていて、 6人が6人とも眠っていた。おかげで私は席を譲られなくて済んだのだが、現実回避 ばかりを選ぶ日本人は病んでいる、という人もあるだろう。
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