トップページ > 癌・腫瘍 > 2015年03月04日 > RfX9aaJk

書き込み順位&時間帯一覧

5 位/86 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0200000000000001000000003



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
がんと闘う名無しさん
★ ホスピス・緩和ケア・総合 ★ Part.2 [転載禁止]©2ch.net

書き込みレス一覧

★ ホスピス・緩和ケア・総合 ★ Part.2 [転載禁止]©2ch.net
107 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/04(水) 01:05:39.30 ID:RfX9aaJk
>>104
最初に診ていただいてから6年診ていただいた病院と、今の自宅は県が違っていて片道2時間くらいでした。
社会福祉士さんなどをその病院で紹介してもらっても自治体が違うのでどうしようもないことと。
がんが見つかってそのまま主治医が大病院の先生で、手術も研究論文の為にデータとる目的もあって、二週間ごとに様子を診ながら抗がん剤打ってって流れで、余命を宣告されたのが11月のアタマ。

その病院は治らない病気は退院という流れで、ホスピスはあっても母は延命を希望してなかったので、至急色々調べて広く紹介もされて近くの在宅看取りも可能なホスピスさんにメールし診察がてら相談に行って、紹介された病院からの紹介の訪問看護ステーションだったのです。

まだその時は自分で歩け、近所の公園で夜の紅葉見に行く程度には母が元気そうに見えました。
最初の主治医との別れはあっさりしすぎて私もショックでしたが、6年間信頼してきつい投薬も頑張ってきた母のほうがショックだったようで。
その後は寝込んでしまい私がいつも泣きながら紹介された病院に行くの頼んで連れていきました。
その主治医になる人に必死な感じで余命の衰弱の急転直下のグラフを見せてもらい尋常で無い事を知ったのは、契約後二回目の診察で正月休み前。

その脳神経外科でその場で契約したのがそのケアマネージャーさんや看護師さん達でした。

家庭での看取りについては、その短期間で殆どの情報収集したのですが。その情報の中で自分の出来ることするだけで精一杯でしたね。

ノウハウ蓄積されてより良いものになるのなら仕方ないと思うのですが。

その短い期間も正月前にはじまり、三週間。五日の正月休みに、年明けの成人式連休。閉まっているお役所。当直しかいないステーション。
最悪な状況が被った思うしかないのかもしれません。
★ ホスピス・緩和ケア・総合 ★ Part.2 [転載禁止]©2ch.net
108 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/04(水) 01:19:18.58 ID:RfX9aaJk
>>106
いたわりの気持ちありがとうございます。
お互い喪失感も悲しみもしんどさも比べるべくもなく平等なはずなのに。
本当にありがとうございます。

こういうの、良い面も悪い面ももっとはっきりさせて情報あったうえで、今後より良くなるといいと思います。
嫌な部分はみたくないものかもしれないですが。
私は核家族で周囲に老人もいなくて、大事な人が死ぬってのをゆっくり待つのは初めてでした。
自然死でも人がどうやって死んでいくのかもわかりませんでした。

本当に切実に人に助けてもらってでも頑張りたいと思った時に、本当に信頼できるスタッフに巡り会えるのは大事だと思います。だけど時間は残り少なく精神的余裕もなく砂時計のような心細さに堪える事は、今でも記憶に押し潰されそうなくらい辛いので。

在宅がいいのかホスピスがいいのか未だわかりません。
★ ホスピス・緩和ケア・総合 ★ Part.2 [転載禁止]©2ch.net
110 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/04(水) 15:51:07.72 ID:RfX9aaJk
>>109
私はまだ去年の1月のことで、まだ記憶も生々しいまなので記憶も生々しく今でも思い返してしまいます。
ウチの場合は両親の中も実際は冷めていて、父は無関心、母は最後の最期で父が側にいる気配さえ拒絶していました。
余命宣告も私と母だけでの秘密にしてくれと母に言われ、結果、私がひとりで背負い込むことになったのですが。
厳重に注意して肺炎や風邪もひかず、眠るような姿で見送れたのは良かったです。
危篤状態のお水取りの間も寝返りができない汗をかいた頭のしたのタオルを交換し、肌が渇いたら化粧水でマッサージし唇が乾燥したらリップクリームを塗り、また脱脂綿でお水を含ませるというのを30時間以上続けて死に顔は闘病生活の前のような姿になってしまいました。
自宅だったので思いつきはすぐに行動に移せたから出来た事も多いと思います。
葬儀の方に死に顔がきれいだと褒められた時、在宅で看取りの方を見送るのは初めてだと言われました。
ご近所に在宅看取り可能な看板あげているところはいくつかあるのに。

やはり国で推奨されようとも、民間の町医者での在宅で最後まではこれからの領域なんでしょう。
思い起こせば一度も往診の無かった医者も危篤の宣告するときには慣れてないのか動揺した感じで涙が浮かんでました。
最後の場面では誰も何も教えてはくれず。
全て、授業で習ったことと本とネットの知識が頼りでした。

思いつくだけの出来ることしか出来なかったのですが、それだけは在宅で看取って良かったところかもしれません。
私は、資格を持ってて恩師に当たる人にも介護向いているとは言われましたが。辛いことの記憶の方が大きくて。本に書いていること以下の事しか知識も無いような現場の方を責めてしまいそうで、出来ればもう関わりたくないです。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。