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100 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/03(火) 19:49:12.52 ID:HC9xmeIj - 自宅看取りしたものです。
うちは腹水が貯まって衰弱していくばかりだったので、ロキソニンと向精神薬の処方で見送れましたが。 介護に関してはケアマネージャーさんにまかせてたら、意識の無くなった日の午前中、せん妄状態で訪問理学療法士の歩行リハビリうけることになったり。今考えれば老人介護のノウハウで済まされてました。 デイホスピス対応のナースステーションのある事務所のケアマネージャーさんなのに。病院で契約書も書いたのに、医療との連携が出来ていなく、知らなかったで済まされました。 まだ、人材において在宅看取りは余裕無いと厳しいのかもしれないです。 あと、介護認定の時間差がやっかいです。 急変すると二週間で容態変わるのに、要介護3出たのは無くなる一週間前で、レンタルベッドはお試し期間しか利用しなかったという有様でした。
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102 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/03(火) 23:22:52.95 ID:HC9xmeIj - >>101
土日は緊急以外連絡はしないように。時間も朝9時以降のみでした。 土曜に電話したら月曜は休みなので連休明けにデイホスピスに行けるようにしますと言っても、火曜の朝にはそうでしたっけ?と慌てて迎えにくるという。いわゆるホウレンソウに不安がある感じでした。 正月連休挟んだ状態で、連休明けをじっと待週末で、 大寒波がくると部屋の温度上げても限度はあってずっと手をさすってました。 ケアマネさんかはヘルパーさんも無し。理学療法士さんがヘルスチェックして、もっぱら福祉道具のセールスマン連れくる感じでした。 母がなくなった直後は要支援1だった父が倒れて要介護3に。 そのままケアマネージャーさんはひきつがれたのですがその後の話しはスレ違いですが。 地域包括制度というのを意識すると、父もお世話になる形だと意見もしにくかったという。 父の時も問題はおこったのですが医者と地域の社会福祉士さんの第三者立ちあいでやっと話しが通じたくらいです。 その頃にがんの在宅看取りの本を書かれた先生書かれたばかりの「私は福祉のセールスマンじゃないです」なんてフレーズ自分で言っちゃってたので内心苦笑と後悔が。 どっちにせよ、余命六ヶ月と言われてから三ヶ月も経っていない状況で。余命宣告されて退院して一週間後には主治医も最後の診察になり。末期難民状態。初めてのことばかりすぎてほぼ私ひとり介護する形で疑問を持つ余裕も無かったです。 急変する可能性は年末に看取りの時の医者に説明は受けていました。 看護師さんには、私が情緒不安定になっている思われたらしく、その危機感は伝わりませんでした。
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103 :がんと闘う名無しさん[sage]:2015/03/03(火) 23:39:33.20 ID:HC9xmeIj - 最期危篤状態が長く続いて脱水状態で熱が出て、だけどそれが死んでいく過程なのわかっていても。意識無くとも脱脂綿のお水を吸ってたり、涙が浮かんだり、周囲の会話に合わせてビクッと反応したりしているので、死と昏睡は違うのもわかって。
ずっと横で付き添って、呼吸が止まる死の瞬間まで話しかけながら横におれたのは良かったです。 今でも思い出すと無力感も思い出して悲しくて胸が苦しいですが。 在宅看取りは、患者家族のグリーフケアだけはどうしようもないです。 後日、まだ悲しみから立ち直れていない一週間程で、挨拶に行ったら、看護師さんやケアマネージャーさんが顔が変わって徳があがって良かったわね。と某宗教団体の人のよく言うという褒め言葉を笑顔でかけられてゾッとしました。
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