- 60代以上が見た明治大学
625 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2017/08/15(火) 09:24:43.49 ID:u6flNb0T - 原田謙次 『校歌と校風』 北光書房、昭和18年
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10972208 今、駿河台には日本大学の工学部も出来、中央大学も引越して来たけれど、 そのかみは駿台といへばニコライと明治大学のみをすぐに思ひ浮べる程であつた。 『白雲なびく駿河台』を土地高うして白雲なびくと文字通りに取るならば、 わづかの丘なる駿台を知る者は、あまりにも誇張に過ぎたる表現と感ずるであらうけれど、 日本人に共通なる感激の思ひで多き『明治』の名を思ふ時、芙蓉の峰の聖き姿に 靉靆としてたなびく白雲が眼に浮び、その白雲につながる思ひは際限ない。 『霊峰不二に白雲なびくさまのよく見ゆる駿河台』といふ意味に取るならば、 それはまたあまりにも、プロゼイクなる解釈にして脈うつといふものを知らぬ者である。 熱血詩人児玉花外、『明治其の名』を思ひて感慨無量、睫毛に宿る真珠のレンズを 透して見たる白雲であつて、時代の暁の鐘を撞く先覚者の胸の血潮の高鳴りを いみじくも偲び得る者ならでは解し難きところであらう。 明大には、本校の業をふむ者のほかに、他校に進んだ者の中にも受験準備の予備校として 通つた忘れがたき期間もあつて、多くの人人の思ひ出が漂つてゐるわけである。 明大は即ち駿台の覇者にして神田一帯を睥睨し、また私学一方の旗頭として全国に意気を示してゐる。 この校歌は、作者児玉花外の恐らく畢生の傑作であつて、思ふに斎戒沐浴熱涙滂沱として 綴りしもの、ともすれば知名大家が頼まるれば縁なき校歌をさへ、地図と字典の轆轤にかけて 工作するイージーゴーイングの作あるうちに、之は全く類を異にせるものなることを 明大健児は自負すべきであると思ふ。 作曲は山田耕筰氏である。
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